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コロナ禍が学校に与えた影響を考えてみた

 

令和5年5月8日から新型コロナの感染症法上の位置付けが2類相当から5類相当に変わるとことになりました。それを踏まえて令和5年の4月から学校における感染対策が大きく「緩和」されました。

 

一番の変化は「マスクの着用」でしょうか。「個人の判断」となり、マスクをつけることを子どもたちに求めることはなくなりました。あくまで私の周りの感覚ですが、低学年の子たちはほぼマスクをつけなくなった一方、高学年の子たちはまだ着けている子が多いです。私自身、マスクはコロナ以前の通り「花粉症」「風邪」「インフルエンザ」等の対策に使用すればよいと考えています。その理由は後述します。

 

令和2年2月末に休校が要請されてから約3年。世界、日本の社会全体がコロナの影響を受けたように、学校も大きなコロナの影響を受けました。大人は次第に元の生活に戻るのではないかと思いますが、子どもたちはそう簡単に戻ることができないように思います。マスクがいい例です。

 

後ろを振り返っても仕方のないことかもしれませんが、この3年間でコロナ禍が学校に与えた影響を私なりに考えたいと思います。

 

 

休校のインパクト。学校は何をするところか。

 

令和2年2月末。突然の学校休校要請。おそらく教員人生の中で、東日本大震災と共に忘れることのない出来事になると思います。休校が決まった時は「4月から学校は復活するんだ」と思っていましたが、どんどん休校期間が伸び、私が勤める自治体の学校で、全員登校が開始されたのは、6月のことでした。

 

この休校期間に学校が直面した課題は「対面以外に子どもとつながる手段がない」ということです。授業はもちろん行われず、学校からはほとんど連絡はなし。できたとしても電話と紙のお便りと課題のポストインだけ。テレビ等で「子どもが家にいて大変」「学校は何もしない」「学力差が出て不安」という報道が行われていました。

 

休校で学校が何もできなくなることが浮き彫りになったと同時に、学校は子どもが日中安全に過ごせる場所であったということ、内容はともかくとして学習する場であったということがわかりました。この当時、厳しい家庭環境の中にいた子どもたちは苦しい時間を過ごしたのではないかと思います。

 

また、今では当たり前になった「オンライン」の必要性が一気に高まりました。Zoom等を活用し「オンライン朝の会」を実施する学校や自治体がでてきました。GIGAスクール構想が一気に進んだのも、学校の休校が影響していると言えるでしょう。

 

いや、一気に進んだのは、ハード面だけで、中身はあまり変わっていないかもしれません。いまだに「ICTをどう活用するか」「子どもたちにルールを」とか言っている学校や教師はコロナ禍という大きな出来事であっても変わることはできなかったようです。この点はまた別の機会に書きたいと思います。

 

「学びを止めるな」という名の「やっつけ仕事」

 

令和2年度は、4月当初に休校からスタートし、私が勤める自治体は分散登校を経て、6月から本格再開しました。単純に考えて2ヶ月分「授業が遅れ」ていることになるので、それをどう取り戻すかが話題になりました。

 

結局、私が勤める自治体がやったことは「詰め込み」です。いや「やっつけ仕事」とも言えるでしょう。とにかく教科書の内容を終わらせる。それを目指して授業時数を捻出していました。

 

8月というものすごい暑さの時期まで、子どもたちを登校させ夏休みを短縮させました。6時間授業を7時間授業にし、土曜日も隔週で授業を行いました。子どもたちの体調、教師の体調なんて二の次。「学びを止めるな」の合言葉でひたすら「詰め込み」を行いました。果たしてこれにどんな意味があったのか、どれくらいの差が出たのか検証は一度も行われませんでした。

 

新しい指導要領で目指す「学びに向かう人間性等」をはじめとした「資質・能力の育成」はなんだったのかと言わんばかりの取り組みでした。結局、社会全体の「学力低下の不安」に押された形になんだと想像します。当時の教育員会の担当者は大変だったと思いますが、あなた方が決めたことで、どれだけの子どもと教師が疲弊したのか知っていますか、と今更ながらいいたい。

 

結局令和2年度は「教科書の内容が終わったかどうか」が大事な目標でした。これまでずっとこだわってきた標準時数が下回ることも問題になりませんでした。この時私は、学校教育を動かしている方々にとって大事なのは、子どもたちのよりよい学びではなく「教科書を終わらせる」ことなのかと思ってしまいました。

 

学校のコロナ対策は「矛盾」「形骸化」のオンパレード

 

コロナ休校以降、学校はずっと「感染対策」をし続けてきました。

例えば、このような対策です。

 

・子どもや大人はマスクをつける

・手洗いの徹底、消毒

・換気の徹底

・教室や手すりなどの消毒をする

・体温チェック

・子ども同士は距離をとる。距離が確保できない行事は控える。

・対話は控える

・歌や器楽は控える

 

休校があけた当初は、未知のウイルスに対する不安、「クラスター」への不安から対策は致し方ない部分はありました。しかし、学校は子どもたちが集まる場所。対策をしようにも限界があります。子どもはくっつくし、近づいて話をするものです。

 

それなのに教師は、子どもたちに「密になるな」「離れなさい」と言わなければいけない。「近づくな」「話すな」を徹底したら学校生活が成り立つはずありません。「緊急事態宣言」という「強い」言葉にもだんだん慣れてしまい、対策をしている「ふり」をすることが当たり前になってしまいました。毎日の体温チェックや消毒も果たしてどれだけの人が徹底していたかわかりません。ほとんど形骸化していたのではないかと思います。

 

これまで、子どもたちに「ルールを徹底する」とか「共通実践をしましょう」とか言っていたのにもかかわらず、コロナ対策はしている「ふり」もちろん、徹底なんかしたら学校生活が成り立たないからしている「ふり」するしかないんだけど、表向きは「対策してますよ」は続く。こんな矛盾や形骸化が学校の中で当たり前になっていたことに違和感をもっていたのは私だけではないでしょう。

 

学校に厳しすぎるコロナ対応、緩すぎるコロナ対策

 

令和3年になり、ワクチンの登場が話題になりました。「ワクチンが打てればコロナが終わる」という淡い期待を持った人も多かったのではないかと思います。一方で「緊急事態宣言」の発出、遠出の自粛、飲食店の時短営業、人数制限は変わらず、旅行や飲食を控える生活は続きました。犯罪でもないはずなのに、いつどこで誰が見張っているか分からない気になっていた方も多かったと思います。

 

令和3年度の夏に保育・教育関係者のワクチン優先接種がはじまりました。私もすぐに受けました。「これでコロナの不安から逃れられる」「子どもたちにうつす不安がなくなる」と安堵した先生も多かったと思います。

 

しかし、コロナに感染する人はどんどん増えていき、濃厚接触者になって一週間程度出勤できなかったり、コロナに罹って10日間出勤できなくなる人が増えました。このルールは感染防止の観点から仕方ないとはいえ、学校教育活動を維持していくこと困難にしました。「担任の先生がいないから学級閉鎖です」くらいの措置はもちろんできず、残った教職員でなんとか学校を運営していくしかありませんでした。

 

また、集団では歌ってはいけない。対面で話し合う等の活動はできないという制限は残り続けているのに、子どもたちへの対応はあいまいなまま。「あまり効果がない」と言われているウレタン性のマスクをしている子も増え、休み時間などは濃厚接触者だらけのはずなのに、感染者が出た後「濃厚接触者はいませんでした」のメールが毎日のように学校から届きました。

 

誰が悪いわけでもない。でもやっていることは矛盾と形骸化だらけ。いつまで経っても閉塞感の中にいたように、私は感じていました。

 

あなたは誰?

 

子どもたちはマスクを着用しているのが当たり前になり、見えているのは目元だけ。令和2年度は何クラスか授業に入っていましたが、なかなか子どもの名前と顔を覚えられませんでした。教室の後ろに飾っている子どもたちの写真を見て「こんな顔をしているのか」と思いました。

 

令和4年度は、熱中症防止の観点から夏場や外でのマスクの着用を求めないことになりました。それでも子どもたちの多くはマスクをつけたままでした。給食の際に「黙食はおかしい」ということが話題になり「話をしてもよい」ということになりましたが、マスクを外して話すことに抵抗のある子もたくさんいました。

 

マスクは必ずつけなさい

お互いの距離を取りなさい

長い時間、話をするのはやめなさい

 

コロナ禍の約2年間、大人たちが子どもたちに求め続けたことです。はじめは子どもの命、基礎疾患や高齢者を守るためだったはずです。コロナがだんだん弱毒化したのは幸いでしたが、本来の目的を忘れ、形骸化したのにも関わらず、子どもたちは大人たちの教えに慣れ、マスクを外すことさえためらうようになってしまったと思います。

 

クラスの友達の顔をまともに見たことがない

喜怒哀楽の表情が分からない

思いっきり笑ったり、遊んだりしたことがない

 

こんなことができずに育った子たちが日本中にたくさんいるわけです。調査ができるものでもないし、今更調査しても遅いのですが、何かしら影響はあったのではないかと思います。感染リスクと、お互いの表情が見えないことのリスク、比べようがないとはいえ、中途半端に続けるのであれば、学校は後者を選ぶべきではないかと思っていました。なぜなら実際に行われている感染対策はしている「ふり」ですから。こんなことを続けるくらいなら、子どもたちがお互いの顔を見合って、話し合って、笑い合えればいいのになと思っていました。

 

学校の役割の再認識

 

令和5年度4月。国は学校に対して「マスクの着用を求めない」と通知を出しました。また、これまで行っていた感染対策を行わないことになり、私の勤める学校では、体育館に全員入って赴任式・始業式を行いました。先日行った歓迎集会も全校児童全員で行いましたし、これから先、様々な学校行事や教育活動に対して人数制限等の対策は行いません。

 

これでやっと矛盾と形骸化だけのコロナ対策が終わります。今まで制限されていた行事や教育活動が復活します。もちろん、コロナが消え去ったわけではありませんから、インフルエンザと同様に、病気が流行する時期は、可能な限り感染対策を行う必要があるでしょう。今回のウイルスは子どもに深刻な影響を及ぼさなかったそうですが、これから先、子どもに影響するウイルスが流行すれば(麻疹をはじめ、認知されているウイルスにも危険なものはたくさんある)今回の経験を踏まえて感染対策をする必要があるでしょう。

 

それと同時に改めて考え直す必要があるのは「学校は何のためにあるのか」ということです。コロナ前と違って、わざわざ無理して学校に来る必要もなければ、来なくても学ぶ方法はたくさんあるし、オンラインでつながることもできるのです。学校は子どもや保護者から見限られないよう、改めて「学校は何のためにあるのか」を問い直す必要があると思います。

 

もうすでに見限られているのかもしれません。学校の感染対策へのあいまいさは保護者も認識していたはずです。もしかしたらこの3年間、学校をつないでいたのは「預かってくれる場所」としての機能だけなのではないでしょうか。

 

「学校は何のためにあるのか」月並みかもしれませんが、「仲間と学ぶことができる」ではないでしょうか。私はこのコロナ禍で人々の中に一番大きな影響があったのことは「つながりの喪失」ではないかと思います。今現在、街を見渡せばそこら中の飲食店で人々がワイワイ話をしています。コロナ禍で少し流行した「オンライン飲み会」はどこに行ったのでしょうか。結局人は、対面で「つながり」をつくりたい生き物だと思います。

 

学校に来れば友達に会える。

学校で友達と一緒に学ぶのが楽しい。

 

「人とのつながり」が得られる場所、学校。これからはそれをより一層強調していく必要があるのではないかと思います。コロナ禍が学校に与えた影響は数多いですが、改めて学校関係者は問い直す機会になればいいなと思います。

 

個人的なことですが、コロナ禍、私がずっと実践してきた『学び合い』も禁止され、苦しい時期を過ごしました。子ども同士の関わりを制限されたら、何もできない・・・「学びを止めるな」の合言葉にただ授業することに虚しさを感じていました。

 

それから2年後の令和4年度に実践した『学び合い』

子どもたちはこう言いました。

 

 

「友達がいるから学校が楽しい」

 

 

結局、そういうことなんだと思います。

 

終わりです。お読みいただきありがとうございました。