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クラウドの問題点と戦略①

さて、どこぞの自治体ではじまったクラウドサービス。

タブレット端末の導入と合わせて、かなり力が入っているように思います。それによって仕事が増えた方もいたでしょうね。お疲れ様です。

 

自治体の学校から、動画や教材を集めてそれを共有しようという試みなのですが、多忙化が激しい学校現場で誰がこんなことをしようとするのですかね。

 

はい、私です。

 

冬休みの中の自主研修として、『学び合い』に関する課題プリントのデータと動画を作成しアップしました。そりゃあもう、個人情報とか教員の不祥事防止とか、色々縛りがあるから、面白くもなんともないものになりました。カメラの性能も悪いし、動画編集ソフトもないわけですから、超アナログ。

 

教材も著作権とか色々あるから、アップできるものも限られている。スカスカの状態でアップ。さらに、アップ方法もまあまあ面倒だし、一つひとつ指導主事あたりが点検するのでしょう。まあ本当に手間がかかります。

 

というわけで、この動画と教材の共有はあんまり広がらないように思います。または無理やり「アップしてください」とお達しがくるんですかね。現場と主事の仕事を増やしてどうするんでしょう。

 

結局、アップするには「得」で「楽」でないと誰もしないと思います。そして、「得」でも「楽」でもないでしょう。でも、私はやります。なぜそんなことをするのか。単純です。

 

「『学び合い』を広げたいから。」

 

個人的な予想ですけれど、動画のアップは、体育好きの先生が自分の動画をアップするか、理科が好きな先生が、理科の実験の様子をアップするか、くらいだと思います。個人情報出せない、著作権関わる、となると自撮り系しかアップOKにならないでしょう。私がアップした動画も自撮り系です。私がOKと言えば、済むだけですし、言葉づかいと服装に気をつけていれば、審査も通りやすいでしょう。

 

さて、理科の実験、体育の動画、『学び合い』という動画が並んだ状態で、「『学び合い』って何だ」と思ってクリックする人もいるのではないかと思います。それが教員でも保護者でも。私につながりを持ってもいいし、ネットで『学び合い』って調べてもらってもいい。Amazonで検索してもいい。とにかく、「知る」ことが第一歩です。

 

 

さて、つづきはクラウドの問題点を書きます。

クラウドの問題点と戦略② - おに先生のブログ

 

出番とサムネイル

f:id:f-manabiai:20200203204909j:plain『学び合い』のことでお話をする機会をえました。そのため、ではないんですが、以前からやってみたかったadbe photoshop elemntsを使用して、話をするときのスライドをYouTubeのサムネイルっぽく作ってみました。やっぱり、インパクトがありますね。こういうものって、やってみないとうまくならない。時間はかかったけど、ひとまず操作の仕方はわかりました。

 

動画編集と画像編集はわりと好きな分野です。センスはないけど。

焦らず、腐らず、したたかに

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焦らず、腐らず、したたかに
有難い言葉の三拍子だなあと思います。

 

聞こえてくる会話の中身が低俗すぎて
話されていることに中身が見えなくて
取り組んでいることの価値があるとは思えない
そんな日々に腐りまくっていた頃

 

嫌な場所から離れ、自分が落ち着く場所にこもるという方法で、バランスをとった。それから、自分が何をやりたいのか、何を求めているのか、考えるようにした。消去法で考えていくと割とわかりやすかった。

 

たしかに、この5年間で、やりたいことや求めていることをさせてもらってきた。でも、やっぱり心の底ではまだまだ足りない。だから、少し今の環境から離れてみるのもありかな、とも考えた。

 

来年度の動向がある程度固まってきたところで、また「焦り」の感情が出てきた。「本当に、こんなのでいいのかよ」と思うことが増えてきた。自分がやっていることが、ただの自己満即でいいのか。いや、やっぱり、「いいわけない」

 

だから、腐らない。

でもあと2年で息子が小学生だ。この5年間の変化を考えると、あと2年で学校が変わるのか。漢字や計算ドリルを何回もやって、テストの点数で評価されて、やることが大量にあって・・・。

どの教科もできる超人を育てたいのか、ドリルだけをとにかく行ういわゆる「基礎」名人に育てたいのか、規律とかルールとかをとにかく守らせたいのか・・・とにかくぐちゃぐちゃ。

 

焦るけど、焦らない。

うまくいかない現実に腐りたくなるけど、腐らない。

したたかって結局何?って思うけど、したたかに。

大事な心がけです。

仲間と学び合う

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第二回おに先生が話したいってよ 開催

いつもの学び仲間が集まって、主に道徳の話をしました。

私はスライドを作りました。たぶん、作るのが好きになってきたんだと思います。

また、この前学んだことを生かしてみないと身につかないと思って作りました。

スライドの話をした後、いろいろ情報交換、共有。

全員iPad使いなので、お互いにコードを入れ替えて、自分が使っているアプリや

記事を見せ合う。わかりやすい。

 

他の参加者の方の道徳の授業づくりを聞きました。

何度もあってきたメンバーなのに、案外こういう話はしたことない。

メモメモ

 

道徳読み――教科書を使う道徳の新しい授業法

道徳読み――教科書を使う道徳の新しい授業法

  • 作者:広山隆行
  • 出版社/メーカー: さくら社
  • 発売日: 2018/03/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 今日紹介されていた本はこれ。

うーん、興味深い。やってみたいなあ。

 

その後は、各校の情報交換。

聞いていると唖然とした。

もーーーれつにがっかりした

もう、本当に、働き方改革って、本当に教員の意識改革しないと変わらない。

っていうかもう、そういうレベルを超えている。

忙しい、忙しいって、自分たちの首をしめて、結局減らすことをしないし、

手を抜くこともしない。変な前例に縛られて意味も価値もないことに時間を費やす。

 

あああああ

 

もう今できることは、こうやって仲間たちとリアルに顔を合わせて、

自分のできることをやっていくしかないんだな。

すっごくモヤモヤするけど、それしかない。

 

 

妻の誕生日と定時退勤

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妻の誕生日でした。

妻の友達が来て、ミニパーティーしました。

まあ、私は子どもたちの相手ですけどね。

子育て世代になってきたなあ、と思いました。

 

このパーティーのために定時退勤。

最近は定時退勤が続いています。

もうあんまり残る気になれません。

ほかの先生たちもわりと早く退勤

しているようです。

 

定時退勤を目標にするのもいいですが、

余裕があることを目標にしたいので、

授業の準備は整えておきます。

 

やっぱり余裕を奪ってるのって、

行事と研究ごとなんだよなぁ、と余裕があるときにふと思います。

個別化のことを色々思い出した

 

iwasen.hatenablog.com

 

一時期、「子どもたちは多様だ!子どもの学びを個別化しよう!」

と試みていた時期があった。それは低学年の担任の時に、子どもたちの言語能力、理解能力に圧倒的な差があって、それは仕方ないことなのにも関わらず、同じことを同じペースでさせることに、どう考えても無理がある、と感じたことがきっかけだったと思います。

 

具体的に何をしたかというと、20時間くらいの単元の学習を1時間ずつ学習するのではなく、子どもたちに全部まとめて課題としてわたし、個々のペースで取り組ませる、という方法でした。

 

通常一時間の内容を半分の時間で済ませる子もいれば、倍の時間かけて学ぶ子もいる。子どもたちは自分のペースで学ぶことができてまさに「個別化」だと思いました。

 

しかし、そうもいかないんですね。

確かに理解力のある子はどんどん進みます。

一時間の授業の中で課題のプリントを3枚、4枚とどんどん進めていきます。

そりゃあそうです。塾とか習い事とか学習教材などで既に学んでいるんですから。

「早く終わらせよう」と半ば競争のような形で、進めていきます。

 

結局それでどうなるかというと、一時間に半分とか、もっと少ししか進まない子が

どんどん遅れていくわけです。分からない状態のまま。ああ、これはいけない。と思って「全員達成」とか「自分のことよりも、周りのみんなのことも見れるように」とか言っても、後戻りはなかなかできない。もう走り出しているわけですから。低学年の子に「後ろを確認しながら、前むいて走れ」なんて難しいですよね。まだそんな時期じゃないんだから。

 

結局分かったことは、「個別化」するにしても「協同」は必須だってこと。

自分で理解したり、自分でどのように学べばいいか分からない子にとっては

「個別化」は置いてきぼりになりかねない。そんな時にクラスの仲間が一緒にいてくれたら、ゆっくり学ぶことができる。

 

あともう一つ言えることは「縛り」をできるだけなくすこと。

20時間の学習内容って、あくまでも大人の都合。子どもにとっては20時間じゃ足らないかもしれない。だとしたら、20時間でいけるとこまで行こうっていう覚悟も必要。「教科書終わらせよう」じゃなくて、「教科書のこの部分までは分かろう」みたいな感じ。これってなかなか勇気がいることなんだけどね。

 

というわけで、僕の場合はチャレンジしてみて、子どもたちの様子を見ていて

「個別化」のことを考え直すことができました。高学年になると「前見ながら後ろ見れる子」って子も現れだすので、案外単元まるごとでも何とかなるんですよね。これがまた不思議なもので。

 

 

よーし!やろう

2月に研究会の協議会司会をすることになりました。

先輩方もたくさんくるとのこと。さあて、どうそれをコーディネートしていくかな。楽しみ。今のところ、イメージはついている。

 

自分のための学習会(ジョイフルの会、二西会など)をやってきた

けど、「おに先生がしゃべりたいってよ」の第二回を開催しようと思います。

 

テーマは道徳。

いやあ、話したいことが山ほどある。

それをどうまとめようかな。

楽しみだなあ。

 

仕事以外で活動するんだったら、自分がやりたいことで、自分のためになって、誰かのためにもなるっていうのはすごくいいと思ってるんだけど、人によっては家族をも犠牲にして夜中まで活動するする人もいるのね。びっくり。

 

でも、それを本人が納得していたらいいのか。

周りがとやかく言うことではないか。

だって、休日に仕事のことを一切考えないって人が私のことを、

「何で仕事以外でそんなに活動してんの?」と思うかもしれないしね。

授業準備

教材研究

なんて大それたことは、しているとは思えません。教材準備、いや授業準備といった方が正確です。

 

平日は少し早めに学校について、放課後は1時間くらい残業して授業準備しています。

 

どんな力をどのようにつけるのか

何がテストで問われているのか

どんな形式で課題をつくるのか

 

そんなことを考えながら、手書きやワードでプリントを作り、印刷をします。

 

だいたい2週間くらいまとめて作ることもあるので、時々土日の早朝に準備することもあります。

 

これが私の授業準備のやり方です。

これは最低限で、必要な時間だと思っています。だから、残業や土日、早朝でもあまり気になりません。

 

気になるのは、その授業準備の時間を削られる物事です。だから、手を抜くことは手をぬくし、人にお願いすることはお願いします。

しなくていいことはしないし、不要なことは断ります。

 

結果的に、授業の質を保証しつつ、家庭で過ごす時間や、自分で学ぶ時間を確保することができています。

 

でもそろそろ、教材準備、教材研究もその中に入れていきたいな、と思ってはいます。

 

自己満足

クラスの思い出を残してほしい。

そう思って、どのクラスでも3学期は「取り組み」をしてきた。

クラスの歌を作ったり、ダンスを踊ったり、壁絵を作ったり・・・

決して子どもたちが「やりたい」と言ったものではなく、

僕から提案して、僕が考えて、創っていったものだ。

結果的には一つの「企画」として形になり、懇談会などで

保護者に伝えて「いい思い出になった」「いいクラスだった」と言ってもらえた。

子どもたちからも「このクラスの思い出は歌を作ったことです」と言われた。

それが嬉しかったし、それが自分のクラスづくりの「こだわり」でもあった。

 

今年のクラスもあと少しで終わり。やっぱり「なんかやろう」と思うのは相変わらずだなあと思います。途絶えないところが、自分が「クラス」というものが好きなんだという証拠なんだと思います。そして、自己満足なんでしょう。子どもたちには僕の「自己満足」に付き合ってもらうわけです。

 

しかし、私はこの「自己満足」を一年の中で数回しか発揮していないと思います。

運動会、音楽会、そしてこのクラス企画です。

自己満足で、いい作品を仕上げていくこと・・・子どもたちはそれに付き合ってもらうわけですが、でもそうやって導くことで得られるものもある、と信じています。

実際に私が高校生の時にマーチングで演技していたものは、ほとんど「つくられた」「導かれた」ものでした。でもそれがなければ得られるものもなかった。

そして当時は「誰かがつくったもの」と思ってはいなかった。だからそれでよかった、と思います。

 

さて、今回の企画。

自己満足であることを自覚しながらも、クラスの思い出を作りたい、と思うことが

僕のエゴであることを自覚しながらも、実行していきたいと思います。

だって、この仕事を続けている理由は、僕自身のためでもありますから。