おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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我が愛すべき音楽

心躍る音楽。

いろんなジャンルの音楽があるだろうけど、僕は吹奏楽やマーチング、オーケストラが好き。

YouTubeを見ていると時々、僕の好みの音楽が見つかる。

ついつい、聞き込んでしまう。

 


www.youtube.com

 

そういえば、小学生の頃、マリンバ奏者の発表会があって、すごく心惹かれたっけ。

自分の知らない世界に胸躍るっていいよなと思います。

気持ちよく働き続けるコツ

みなさんは、毎日気持ちよく働き続けるコツってありますか。

 

教員という仕事の特性上、感情に振り回されてしまい、余裕をなくすことがあります。余裕をなくした結果、子どもたちに影響を及ぼします。だから僕はなるべく、感情の起伏を少なくして、淡々と過ごすことを大事にしています。そのために日々意識して取り組んでいることは

 

・運動

・十分な睡眠

 

です。

運動は、毎朝のランニング、週1、2回の筋トレ

十分な睡眠は、22時就寝、5時起床

をずっと続けています。

 

そして、最近はまっているのが

 

サウナ

 

です。

運動、睡眠、サウナどれにも共通しているのが

「脳にいい」ということです。

 

サウナに行くようになって自覚してきたのですが、運動をしたり、睡眠を十分にとったり、サウナに行ったりして、「脳」が十分に休まると、気持ちが落ち着き、やる気が出てきます。今までイライラしていたのはなんだったんだ、まあどうでもいいかという気持ちになってきます。「ストレス解消法」というのかもしれませんが、一番簡単で、効果的な方法だと思っています。

 

自分のイライラした感情や、やる気の減退はすべて「脳の疲れ」の所業なんだと自覚することで、自分の感情に冷静に向き合うことができます。「ああ、疲れてんのか」「休めばこのイライラはおさまるだろう」と思えます。

 

もちろん他にも、誰かに相談する、別のことをする、ブログを書くなどの方法もありますが、

運動、睡眠、サウナが一番効果的だと、私は思います。

 

 

さて、みなさんは毎日気持ちよく働き続けるコツを持っていますか。

努力してニコニコしているワケ

行事が終わり、授業や学級経営に専念できると意気込んでスタートした月曜日。終わってみれば、身も心もボッロボロ。サウナ行ってたくさん寝たら、少しは回復。でもまだ「何もしたくない」って感じ。

 

僕の弱点は余裕をなくすと、ピリピリすること。僕がピリピリすると、すべてが悪循環に陥る。だから、子どもの前で機嫌よくしていられるように工夫している。理想とかではなくて、それが僕が長年教師の仕事をして向き合ってきた僕なりの「答え」(迷惑をかけた子どもや保護者に大変申し訳なく思っている)デフォルトでニコニコできる方は羨ましい。僕はできない。

 

だからこそ、体調管理は気をつけているし、授業の準備は念入りにしている。
時間のかかる仕事は、早朝出勤か自宅で捌く。そこまでして「余裕」を作り上げるのは、結局、自分の人生を充実させたいから。

作り上げた余裕を他人に崩されるのは癪。仕事なんてそんなもんかも知れんけど、「フォローして当たり前でしょ」「権利だから当然でしょ」「あとよろしく」みたいなのを食らいまくってると、どんどん余裕をなくす。結果、僕の弱点をさらけ出すことになり、本業が疎かになり、自分が嫌になり、負のスパイラル。

 

それを作り出しているのは、ただの一つの理由。気にしなければ気にしないで済むけれど、結局周り回って自分のところにくる。目の前で僕より必死な人がいるんだから、「できません」なんて言えるわけない。「いいっすよ、やりますよ」と引き受けて、ニコニコしながら、どんどんボロボロ。そんな一週間。

 

働き方改革?え、そんなもん・・・が変われば一発よ。

教員の働き方改革

教員の「働き方改革」のことをよく聞くようになりました。

いろんな案を聞きますが、だいたい「改善」レベルで、

「改革」とまでするのは、無理だなと思っています。

理由は3つです。

 

・教員の「大事だから」「子どものために」でやめられない

・校長の考え方が変わらない

・行政が仕組みを変えない

 

その中でも問題なのは2番目ですね。

校長次第でなんとでもなるのに、変わらない。

「早く帰れ」なんて誰でもいえます。

教員の「大事だから」「子どものために」まで切り込めるのは校長です。

また、行政に対しても意見を述べることができるのは校長です。

 

 

結局、校長なんですよ

 

 

どんなに教員レベルで「改善」を積み重ねようとも、学校全体に関わる「改革」をすることができません。もし「君の改革案にはすべてOK出すから作成してくれ」と言われたら即作って、実行します。でも、そうできないのが結局すべての決定権は校長にあるということです。

 

 

では、私の考える改革案、挙げるとしたら以下の通りです。

 

・教員の勤務時間前の子どもの登校は禁止。または早番の教職員が対応。

・定時前の電話連絡は早番の教職員が対応する。

・宿題の廃止

・学級通信の廃止または電子化と授業参観の自由化

・テストの廃止

・教科研究の縮小または廃止

・チラシや教育関連のお知らせはすべて電子化、対応は事務

・クラブ活動の保護者見守り

 

などなど。

ほとんど校長が「やりましょう」と言わないとできないことですね。

ここまでやって、まだ「負担だ」と教員が言うのであれば、それはその教員自体の

業務改善が必要でしょう。

 

なんどもいいます。

働き方改革は校長次第です。

校長が本気になれば、学校は変わります。

変わらないのは、校長が本気ではないからです。

 

朝のパトロールして、校長室でのんびりして、教室をまわって、定時退勤じゃあ

変わるわけないよ。

誰かに期待しない生き方

上司がわかってくれない

同僚がわかってくれない

 

そんなことを思うことってありますか。

このように思うのって、「誰かがわかってくれる」という期待がどこかにあるからだと思います。しかし、自分が望むように人は動いてくれない。むしろ、期待を裏切るようなことをされることだってあるでしょう。

 

あの上司は・・・だ。

同僚は・・・・だ。

そのようにケチをつけたり、レッテル貼ったりして、自分を正当化したり、落ち着かせたりすることもあるでしょう。でも、結局他人を変えることはできないし、変わることを期待したら

また自分が苦しくなります。

 

 

ならどうするか。

 

 

 

 

期待しない。

これに尽きると思います。そして自分自身だけに関心を寄せる。

自分を磨くこと、自分が明るく生きること、自分が成長すること・・・このようなことを大事にしていきます。

 

 

とはいえ、簡単ではありません。

やっぱり同僚に非礼なことをされたら、腹が立ちますし、

上司からよくわからない講釈を垂れられたら、腹が立ちます。

 

毎日明るく過ごせるように努力しているのに、他人に簡単に潰されると悔しくなります。

 

 

でも、やっぱり、期待しない。

そして、理解してくれる人、応援してくれる人のところにいく。

敬意と礼儀をはらう人に対して尽くす。

 

 

これの繰り返しです。

 

ま、僕の場合、腹を立てることの方が多いんですけどね・・・笑

だからこそ、意識して過ごさないと自分が参ってしまいます。

さ、今日も頑張ろう。

少年よ、大志を抱け

予め予告しておきます。自分のためだけに書くので、読んでも意味のわからない記事になります。あしからず。

 

18歳の少年は、「夢を語る自分」でいたかった。

夢を追うことが、人生の目的になっていた。

でもそれでよかった。そんな自分を好きになれたから。

 

いつの間にかその「夢」は現実となり、その地での生活にも慣れた。

いろいろなことを知り、いろんなつながりが増え、夢を追うことをやめた。

生活に満足していたいし、それ自体が、恥ずかしいこと、幼いことに思えたから。

でもどこか、寂しさがあった。

夢を語る自分とそれを応援してくれる人の存在が僕のすべてだったから。

心の底ではまた同じように夢を語り、突き進む自分でいたいと思っていた。

 

でも、現実は厳しかった。自分に向き合わず、夢を語るだけの若造に対して

「甘い」と評価を下した。「おまえなんかいらない」誰もが言っているように思えた。

 

自分が何をしたいのかわからず、放浪し続けた。

一体自分が何がしたいのか、どう生きたいのか考え続けた。

毎晩、星を眺めていた。

 

数えても数え切れないくらい流れ星の多い夜、思い立った。

地元に戻って教師をしよう。

 

幸い、教師になることはすぐにできた。

1年間は臨時採用だったけれど、試験にも合格し、正規採用にもなった。

結婚をし、家族ができ、充実した生活を送ることができるようになった。

 

もうこれ以上、望むものは何もないはずだった。

 

でも心のどこかに18歳の僕がいた。

夢を語る、夢を追うことが好きな僕だ。

僕が僕らしくいられる時。

 

少年よ、大志を抱け

 

少年というのは一体何歳までのことを言うんだろうか。

アラフォーになった僕が語る夢は「少年よ」に当てはまるのだろうか。

少し尻込みするけれど、

いいじゃないか、と思い直す。

いつまでたっても18歳の自分でいたって。

自分のことをやっと好きになれたんだから。

 

40歳になっても50歳になっても

きっと18歳の少年の心は変わらない。

 

ありがとう。 君に出会い、同じ時間を過ごしたことは、僕の人生の宝物です。

遠く離れているけれど、同じ空の下、元気にしているよ。君の存在が僕の生きる勇気です。

 

終わった、自由だ。

大きな行事が一つ終わりました。

達成感はありました。

でも、そこにかけた時間と労力は相当なものでした。

 

今回の行事を通してはっきり分かりました。

今の私は行事があると、落ち着いて学級経営ができなくなるし、

授業に注力できなくなります。

 

そうすると子どもたちも何だか落ち着かなくなる。

そして、落ち着かない子どもたちに、必要以上に時間と労力を削がれる

という悪循環に陥ります。

 

ああ、これはもうだめだ、と思い

意図的に力を抜く時間をつくるようにしました。

 

そして、やっと終わりました。

周りからは「来週から授業が多くて大変だ」という声が聞こえてきましたが

僕は逆で「やっと自由だ」と思えました。

 

おそらく僕にとって、じっくり授業を行える方が、自分の自由にできるし

気持ちに余裕がうまれるんだと思います。

 

さて、来週からはとにかく「ふりかえり」を大事にしていきます。

自分自身を見つめる時間を増やし、アウトプットさせていきます。

ICTどうのこうのではない。

 

 

 

学校の先生らしいよね

学習発表会という行事がありました。

それぞれの学年ごとに、合奏、歌、劇などを発表する行事です。

春の運動会、秋の学習発表会というように、1年間の中で大きな行事でもあると思います。

 

コロナを機に、多くの学校では中止していましたが、私の勤める学校では復活しました。

まだ中止し続けている学校、もう辞めた学校もあるようです。

 

さて、この行事は、先生たちの「個性」が、色濃く現れる行事だと思います。

音楽が好きな先生がいる学年は、音楽に熱が入るし、

演技に熱が入る先生、こだわりのある劇をする先生などなど、

発表を見れば、すぐにそれが分かります。

 

私はそれを見るのが好きです。

 

働き方改革と言われ、いろいろなことを削減してこう、変えていこうとする流れが

今の学校現場にはあります。もちろんそれは大事です。

 

しかし、先生たちの「こだわり」とか「個性」とかまで改革したり、削減するのは

もったいないなと思います。時間も労力もかかりますが、一つ何かを子どもたちと作り上げていくことは、学校の先生としての魅力なのではないかと思うからです。

 

私も音楽の指導をずっと続けてきたので、この行事だけは力が入ります。

子どもたちには「付き合ってもらっている」という認識を持ちつつ、

「引っ張っていく」ことをこの行事に限ってはやります。

 

土曜授業日。今日は保護者向けの発表です。

せっかくだから楽しんでいきたい、そう思います。

 

 

行事をどう捉えるか

運動会、学習発表会をはじめ小学校にはいくつかの行事があります。

コロナの影響でなくなったり、簡素化されたりしたものもありますが、

コロナ以前の状態に戻りつつあるように思います。

 

行事それぞれ目的があって、終えた後はそれなりの成果があると思います。

行事だからこそ、学ぶこと、経験することはあるでしょう。

保護者が観にくることも多いでしょうから、保護者の学校側に対する信頼にもつながります。

 

以前までの自分はこの行事に向けて、一生懸命になっていました。

学年全体で子どもを育てていく、音楽や劇を経験して、成長していく・・・

そのように思っていました。

 

しかし今年はちがいます。

疲れる。

元々、行事に向かうためには、体力と気力を使います。

それでも以前はなんとかなっていました。

今年はちがう。

 

教務を兼務をしているから?久しぶりの担任だから?

それもそうだとは思うけど、おそらく、学級経営が不安定になっているからだと思います。

行事があると、ゆっくり授業や学級経営に集中できない。

子どもが落ち着かなくなるし、対話をする時間も減る。

 

そのように思います。

そして、そう考えると行事っていったい何のためにあるのか、と思います。

 

とはいえ、今週末でそれも終わり。

あとは、じっくり学級で過ごすことができます。

それがいい、それでいい。

 

 

がんばれ、俺。

 

検証と実践

子どもたちと日々過ごしながら、

 

なぜ、この子はこのような言動をするのか。

なぜ、この子「たち」はこのような言動をするのか。

 

そんなことをよく考えています。

 

・子どもだからそんなもんか。

・まだ未熟だから、そうするのか。

・この子の個性か

・発達障害などの特性か

・コロナ禍の影響を受けているのか。

・学年全体の雰囲気なのか。

 

そのように考えます。

 

私が見ている子どもたちの姿は、あくまでこの子たちの特徴なのか

今の時代の子どもたちの傾向なのか、とても関心があります。

 

後者であれば、いろんなことがつながって見えてくるのです。

そして、学校全体で、何を取り組んでいけばいいか考えることができると思います。

 

一つだけ言えるとすれば「メタ認知」でしょうか。

自分のことを、もっと知る。

自分の言動がどのような反応をうけ、どういう影響を受けるのか。

それでいて自分の言動をコントロールする。

 

自己調整とも言えること。

今の子どもたちに限ったことではないと思いますが、

子どもたちと過ごしていて強く感じるのです。