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#59 『学び合い』ができないって?

現場の先生たちから、色んな声が聞こえてきます。「関わり合うことができないのはつらい」

「感染対策が大変」「分散登校が、結構気分が楽」などなど。なんだかんだ、外野にいるから

分かるようでよくわかりません。心中お察しします。

 

さて、私の周りでよく聞くのが、どうやって『学び合い』をするのか。という問い。

さあ、この問いに対して違和感を感じませんか?

 

 

 

 

 

そう、もうそれは『学び合い』が「方法」になっている。つまり「学び合うこと」が目的になっている。だから、こんな工夫があれば学び合えるとか、縛りが多いから『学び合い』できないとかって、声が聞こえる。

 

確かに学び合えないことは、『学び合い』を実践する上でものすごく痛手だと思う。『学び合い』では、膨大な時間をかけて、互いに理解し合い、「一人も見捨てない」「学校は何のために学ぶのか」を学んでいくんだから。

 

 

でもそれって決して、学び合ってなくてもできること。昨年、音楽発表会の時に、子どもたちに時々話をしていたことは、すべて『学び合い』の考え方。以前6年生を担任しているときに、学年集会で話していることも『学び合い』の考え方。それを語った後の子どもたちの行動をよく観察し、声をかけていく。時々フィードバックしていく。これって立派な『学び合い』ではないでしょうか。

 

 

確かに色んな制限があって、苦しいのは分かります。でもその制限って結局何のためにあるのか、って考えたら、結構狸になれるんじゃないのかなって思います。私が『学び合い』を始めて数年は、見た目一斉授業の『学び合い』をよくやってました。求める人に対して、形を作って言い訳できるようにしたいだけです。

 

それ以上に、「子どもは有能である」ことを考えるなら、制限のある中でどうやっていくか、考えればいいのでは。今まで以上に色んなアイデアでてきそう。