誤解を恐れるから言いますが
僕は『学び合い』実践者です。
という言い方、なんかカミングアウトみたいで勇気がいります。
いや、正直なところ「『学び合い』やってます」でも「『学び合い』実践しています」でも「『学び合い』実践者です」でも、どう表現しようが、『学び合い』という単語を使って自分を紹介することに若干の抵抗感があります。
なぜなら『学び合い』という単語には、提唱者の先生の顔がチラついたり、子どもたちがごちゃごちゃやってる姿が想像されたり、よくわからないグループ・集団だったりが彷彿されるのを知っているからです。
だから、誤解されることもある、と思っています。そして、恐れてもいます。
『学び合い』という単語によって、僕が願ってきたことが捻じ曲げられてしまうことを。
そのような経緯からなるべく僕は『学び合い』という単語を出さずに、自分の願いを言葉にすることを心がけてきました。今、一番しっくりきているのが「学校教育をよりよくしたい」です。もう少し細かく言えば「子どもたちが学び・人生をよりよくできるようにしたい」です。
また、「子どもたち」と言うのは、自分が学級担任なら「教室の子どもたち全員」を指します。何人かだけの学びがよりよくなるようなものでないし、8割の子がよくて2割がよくないというものでもなく、「全員」です。これを目指す上で最もベターなのが『学び合い』だった、いうことです。
では次はなぜ『学び合い』が最もベターだと思うようになったのか。
それについて書きたいと思います。