お正月。有難いことに、昔の教え子から年賀状が届きます。懐かしさや嬉しさとともに『僕が「先生」で申し訳ない』と思ってしまいます。
数年前、1年生を担任していた最後の日、僕は泣きました。あまりの不甲斐なさと申し訳なさからです。
年賀状を送ってくれた子の中に、特に申し訳なく思う子がいます。当時、その子のことを受け止めてあげることができず、優しく声をかけてあげることもできず、保護者の方にもたくさん心配をかけました。
幸い、保護者の方はとても温かい方で、僕のことを否定せずに、子どもの背中を押し続けてくれました。何とかその気持ちに応えたい、子ども(たち)にとって「いい先生」でいたい。だけどなかなかできない。葛藤する日々が続きました。
1年生の担任に向いていない
自分は先生として不十分だ
そう開き直ってしまえば、簡単です。どうすれば自分自身の「器」の小ささと向き合うことができるのか。ありとあらゆる方法を考えました。例えば自分自身が子どもにどういう言葉かけをすればいいか図式化して目立つ場所に貼ったり、1日の自分の言動を振り返るシートを作成したりしました。
でも、そんなにうまくはいきません。
結局、満足のいかぬ日々が続き、最後の日を迎えました。
あとは、上のブログの通りです。
その次の年、その子は家庭の都合で転校していきました。
それからずっと年賀状を送って頂いています。
僕は年賀状を受け取ってよいのか。
その子にとっての「先生」でよいのか。
毎年、考えてしまいます。
年賀状の中に一筆、いつも書いていることがあります。
先生の授業(『学び合い』)がよかった。
と。本当にそう思っているのか分かりません。
ただ、その言葉だけが僕を救ってくれます。
今日から3学期。幸い、いろいろなことがリセットされています。
仕切り直すなら今です。
来年、年賀状を送ってもらえるかどうか分かりませんが
自信を持って「先生やっているよ」と言えるよう、自分自身と向き合っていきたいです。