おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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つらい

今日、担任していた子の保護者に会いました。

話を聞いていると、お子さんがお別れの日に泣き続けて、

翌日も泣き続けて、まだ不安定とのこと。

クラスが本当に楽しくて、それが急に終わってしまうことに、

心の整理がつかないんだ、と。

 

 

そうか・・・

そんな思い詰めているようには全然見えなかったんだけどなあ。

やっぱりどう感じているかなんて分からないものなんだな。

 

 

学校って学ぶところでも、遊ぶところでも、心と体を成長させるところでも、子どもを預かるところでも、生活のリズムをつくるところでもあるって、今回の休校で分かったけど、心の安定をつくる場所だとまでは思っていませんでした。

 

今回の休校、卒業する子たちはもちろん、多くの子どもたちを傷つけたんだろうな・・・仕方ないとはいえ。

 

私は楽しいクラスを作ろうとしたわけではありません。

『学び合い』の考え方を通じて、子どもたちの学びを充実させ、

子どもたちと一緒に学級をよりよくしようとしてきただけ。

そんなに難しいことはしていたわけではないんだろうけど、

オンリーワンだったのかなあ。

いや、そんなはずないんだけどなあ。

まだオンリーワンなのかなあ。

いや、来年は別の先生がいいクラスを作ってくれるはずだよ。

そう信じて、先生はがんばるよ。

 

ああ、でもつらい。

【長文】敬意を込めて

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待望の一冊が届きました。

 福島県(現宮城県)の高橋先生の著作です。

流動型『学び合い』の授業づくり: 時間割まで子どもが決める! (教育単行本)
 

 

高橋先生は、ブログで『学び合い』を中心とした情報を発信している方でもあります。

nao-taka.hatenablog.com

 

私が『学び合い』を実践し始めた頃、今ほど全国に広まっていなかったので、周りに実践をする人などおらず、頼りになるのは、数冊の本と全国の『学び合い』実践者たちの発信でした。その中でも高橋先生は、その当時から「この人はすごい」と思っていたので、ずっとブログを読み続けています。

 

何が「すごい」のかというと、自分が曖昧にしていたことを尽く、「言葉にしている」ということです。

「ああ、そういうことか」

「そこまで考えが及んでいなかった」

とブログを読むたびに感じていました。高橋先生は「平凡」とか「力がない」とよくおっしゃっていますが、私からするとそんなこと全然なくて、ずっと前を走り続ける「トップランナー」でした。

 

そんな高橋先生が本を出版されたということで、即注文しました。

で、読みました。感想は

 

やっぱりすごい

 

西川先生が出している『学び合い』の本と違うのは『学び合い』のテクニック以外(以上)のことが書かれている点です。これは、答えのない、言葉にしにくい部分だと思います。西川先生も次のようにブログで述べています。

www.jun24kawa.com

 

テクニック以外(以上)の部分、「口伝」の部分を文で伝えることは容易ではないでしょう。誤解が生まれる可能性もあります。でも、高橋先生はそれを承知で本にしたんだと思います。だから「すごい」のです。そして、『学び合い』の考え方を徹底して維持し、子どもから学び、考え、悩んだこと、そして願いが込められています。いや、もうにじみ出ています。私にはそう感じます。

 

さて、この本を読んで、感想を書こう、と思いました。それは、私なりの敬意を表すためです。高橋先生ももしかしたら読まれるかもしれないので、ドキドキしますが、自分のためにも書きたいと思います。

 

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怒涛の1日・お別れ

27日の18時半、校長が職員室へ。

安倍首相、臨時休校要請

まさか・・・。

職員室が騒然。

そのまま帰宅。

これはもしかすると、明日で終わり?

いろいろなことが頭をぐるぐるまわる。

Twitterを見てみたら、休校関連の話題ばかり。

多くは「子どもを誰が見るんだよ」だったけど、

自分の関心は「明日をどう終わらせるんだよ」だった。

 

最後の日は、心に残るものでありたい。

これは教師をはじめてからずっと続けてきたことだ。

エゴでもあると思うけど、これがあるから教師を続けてきたといっても過言ではない。子どもたちと一緒に過ごしてきた思い出は、かけがえのないものだから。それを共有できる唯一の日。そう思っています。

涙を流すかもしれないし、さっぱり終わるかもしれない。

いろんな終わりがあった。今年はどうだろうか。

 

でも、まずは何から片付けたらいいだろう・・・そちらの方が大事か

いや、最後のお便りを書く方か・・・興奮して寝れない。

とにかく、明日朝早く行って決めよう。

 

4時起き。5時には到着。もちろん、誰もいない。

転校生に向けたお便りと最後のお便りをつくる。

さあ、教室に戻って必要な資料を集めておこう。

今日これをすべて返却するのか・・・

 

残っていた学習と今日する予定だったテストを終わらせ、片付けをし、ドタバタと午前中がおわった。昼に通知が来た。来週から休校。4月6日まで。

 

放送の後、プリントを配る。

ビデオをみる。語る。涙が出る。ジャーナルを書く。

帰りの準備する。教室掲示の大売り出しをする。

最後は明るくお別れ。

教室は中途半端に荷物が残っているけど、1日前とは大違いで

ガランとしている。本当は「さあ、来週」って教室を閉めるのに。

作っていた来週の時間割は幻となった。

日常がこうもあっさりなくなるものなんだ。

 

1ヶ月で行うことを1日ですべてやった。

ヘトヘトだった。子どもたちもそうだっただろうな。

複雑な気持ちだっただろう。

 

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1年間が終わりました。

 

最後の参観懇談会

最後の参観懇談会が中止になりました。

仕方ないことだとは思いますが、残念で仕方ありません。

 

子どもたちが自分たちの成長を伝える場、

保護者と教師(私)が子どもたちの成長を感じる場

という大事な機会だと考えていたからです。

 

この日のために、いろいろと構想を考えていました。

この日があるから、いろんなことがあっても

1年間ありがとうございましたと言えます。

そして、1年間頑張ってきてよかった、と思えます。

 

こんな年もあるんですね。全く予想外でした。

あと少しの時間、できることをやろうと思います。

メモ②

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この本を読もうと思った時点で

多分、次のステップにいったんだと思います。

かなり遅れていたとも言えるし、ギリギリセーフとも言える。

 

「評価」をどうするよ

と思ったのは、『学び合い』の学習活動をどう振り返り、どう価値づけするか自分で定まっていないよな

という問題点を見つけたことから。

自分なりに子どもたちに成長してほしい姿をそれが、どのような道筋になっているのか

具体的になっていなかった。だから、いつまでも「ふりかえり」のための「ふりかえり」をしていた。

子どもたちも何を振り返っていいか分からずに、ただ起きた出来事や感想を書くだけにすぎなかった。

 

もちろんそれでは子どもたちは自分の学びをよりよくしていくことはできない。

なら、「こんなことを意識して書いてごらん」が必要で、それを毎時間評価し、価値づける必要がある、

最終的に自分の学びの足跡をふりかえり、自分で評価する必要がある、と思いました。

 

まずは、国語、社会、算数のふりかえりのフレームをすべて統一するところから。

幸い、2学期から体育の授業で似たようなことを言ってきたので、スムーズに行うことはできていたと思います。

では、次はそれをどう評価させるか。そのためには観点と基準が必要。

でも、それって自分が決めていいものなの。一般的なものはどうなってんのよ、と思いいろんな本を見ていて、

一番自分にぴったりくるこの本を購入。

 

まあ、今更こんなことを知って大丈夫なのか、と思うのと

あ、間に合ったな。と思うのと半々。

だって、「必要」と思わないとやろうと思わないもの。

 

 

ちょっと話は違うかもしれないけど、

国語、社会、算数、理科は教科書通りでいいや。

教科書の内容を理解するだけで、多くの子どもたちは精一杯だろう。

あえて教師の創意工夫はいらない気がする。テストによる評価もあるし。

なら、テストの評価もない、教師自身が評価するものは何か、と考えた時に

 

総合、道徳、学活がある。

なんてことを今年一年間ずっと考えていたら、まさにこの本って感じでした。

この3つは創意工夫のしがいがある、というかしなかったら無駄な時間になってしまう。

学校でしか学べないことって、このようなテストのない教科であって

国語、算数、社会、理科なんてのは塾でも学べないわけじゃない。

この4教科は、教科書の学習を通して、子どもたちに育ってもらえばいい。

そしたら、授業の準備もそんなに必要ない。

 

うーん。来年度の方向性が今になって見えてきたぞ。

ひとまずこの評価を今週中にしあげて、今度の日曜日に発表、が今のミッションだな。

 

 

メモ①

そろそろ学年末。

今年度の振り返りをしています。

本当はせまりくる仕事よりもこういうことした方がいいんだろうけど、なかなかそうもいかない。どうでもいい仕事は、すぐに片付けてもっと必要なことをしたい。

 

今したいこと

①子どもたちに3学期の学びを総括するレポートを書いてもらいたい。毎時間書いた振り返りをもう少しうまく活用できないものか。ただ書くだけになっている。自分の学びの足跡を活用したい。それを評価したい。でも、どう評価するのか、かなり迷っている。なかなか答えが出ない。

 

②子どもたちに一年間の思い出を振り返り、自分の言葉で今の気持ちを親に伝えたい。これはビデオレター的なものを作ればなんとかなりそう。

 

③親に最後の懇談会で、このクラスでどんな力がついたかを話したい。なんとなくよかったね、じゃなくてどこがどうよかったか、説明して、どう思いますか、って聞きたい。

 

④子どもたちはなぜ最近、私に不満やトラブルの対応を言わなくなったのか、知りたい。私に期待していないから?自分たちで解決すると思っているから?振り返りジャーナルで不満を書いてくることがあっても「言いたいだけ」って言う子が時々いる。本当に揉め事がないのか。なくていいのか。正直こわい。見えない何かがあるのではないか。わ

 

⑤今年度一番の反省点。挨拶。結局子どもたちに押し付けることになった。中学生の部活みたいな感じ。これで子どもたちはかなり挨拶するようになったけど、本当にこれでいいと思わない。でもここまでしないと多分挨拶しない。挨拶する雰囲気づくりなって、私の今の力量ではできない。今年管理したのは、挨拶、時間、安全衛生。でもこれって、最低限必要なことなんじゃないか、と思っている。

 

⑥『学び合い』で点数の結果が出なかったのはなぜか。

今までのクラスでは出たのに、なぜ今回は出ない。今年度が自分の中では一番質は高かったと思う。でも、出ない、なぜ。

分かっていないままにしているように思えない。関所も何度も作っている。でもなぜ。ここまで手を打っているのに、なぜ。

数年後にわかることなのか、あと1ヶ月の間にわかることなのか。

 

またメモしていこう。そしてこれを『学び合い』の会で話題にしよう。

西野カナ

https://youtu.be/-tFwwxfyrnM

 

最近Appleミュージックのおかげでいろんなアーティストの曲を聴いていますが、

久しぶりに西野カナを聴きました。

はじめて聴いた時から、すごく耳に残るというか歌詞がストレートで面白くって、実際に歌っている姿を見たら、すごくうまくて驚きました。

 

最近の歌手なんてわからんわ〜

私の親が紅白歌合戦を見る時の口癖でしたが、

西野カナもその一人だったでしょう。

でも私にはヒットしました。それくらいすごい歌手なんだ、と自分基準で思っています。

 

まあ、女心を歌う歌詞の内容に共感できることは全然ないのですが、、とにかく聴いていて面白い。そんな気持ちなります。

いつ戻ってくるのかなあ。

ぐはは

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今日は、子どもたちと一緒に物語の絵を描きました。

ぼかしとにじみの塗り方の動画を見たら自分もやりたくなったからです。

「なんかできるかも」って人をワクワクさせるんですね。

 

そんなして、ホクホクして放課後を迎えて、今後の予定を立てていたら、まあ。

こんなにも仕事があるのね、ってびっくり。

ぎゃあーーーってレベル。

これから忙しくなるなあ。

よし、一つずつクリアしていこう!

 

 

毎週月曜日の空騒ぎ

毎週月曜日は、「自学交流会」というものを行っています。

2学期までは、まとめてきたノートをみんなで交流して、「いいね」の付箋を貼ったり、

人のいいとことを「まねぶ」ことを行っていたのですが、最近は、「自主制作」の発表会になりつつあります。

 

鬼滅の刃の日輪刀やスターウォーズのライトセーバーを作ってきたり、

イラストを描いてきたり、粘土で人形をつくってきたりとアイデア発表会になっています。

元々の趣旨から外れているけれど、「自学」=「自主学習」って本来そういうものでいいと思っていたので、

好きなことを存分に取り組んで、みんなに見てもらって認めてもらう、そういう会でもいいなと思います。

 

もちろん、目立った制作物はしていなくても、ノートに日々学習していることをまとめてきている子もいますし、

全くやっていない子もいます。でもそれでいいと思っています。週末の過ごし方まであれこれ言いたくありません。(お互いに)

 

おおおおおおお!すげーーーーー!って大きなエネルギーになるんだなあって思います。

日々の学習にそういうものあるか?

やることばっかり、堅苦しいことばっかりにしないで、子どもたちの興味のあることを存分に出せばいいのに。

子どもたちはそれだけで生き生きする。学校が、みんなと会うのが、楽しくなる。それでいいな、と思います。

 

 

美化しがち

nao-taka.hatenablog.com

 

私は、自分のことをよく話したり、ブログに書いたりする方だと思いますが、よく「美化しがち」だな、と思います。武勇伝のように語る時もあるように思います。

 

何かの本か、誰かが言っていたと思うのですが、「失敗談」は最初の話題としていい、と聞いたことがあったので、意識して使う時もありますが、結局美化しがち。

 

でも、人の記憶ってどうしても正確に覚えていないんだなあ、と最近過去の実践記録を見直して思いました。「え、こんな事考えていたの」とびっくりするほどです。

 

過去のことを語るのは、誰でもできるし、嘘でなければ、美化していても事実は事実。他の誰にも批判も非難されてもビクともしないよ、と自分に言い聞かせて、文章にまとめているところです。