おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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「学びを止めない」なら、本当に「学び」を止めるなよ

「つながりを絶やさない」

 

ならよかったのにね。それなら、オンラインで繋げばいいんだから。

昨年はそれすらもできなかったんだから、大きな進歩だよ。

でも、今のスローガンは「学びを止めない」「学びを保証する」なんですね。

 

 

へえ。本当に「学び」を「止めない」なら、本当にやらないとね。

「学び」を「保証する」なら、本当にやらないとね。

 

まず、大前提。今の学校の授業は「学びを止めてない」のか。

今の学校の授業は「学びを保証」しているのか。

 

 

じゃ、なんで学力低下とか言われんの。

なんで、学力差が生じるの。

なんで不登校の子がいるの。

なんで塾通いがいるの。

学校は、「学びは止めてない」ですよね。

「学びを保証している」んですよね。

 

 

ちがうじゃん。

 

 

そんな授業をオンラインで繋いだところで、「学びを止めない」ことも「学びを保証する」こともできるはずない。黒板の文字は見えにくいし、音もいろんな音を拾って聞き取りにくい。

そんなものを「学びを止めない」「学びを保証する」って言っちゃうんですね。子どもはもちろん、親はがっくりきますよ。「学びを保証してくれるって言ってるのに・・・」と失望するか、憤慨するかもしれないですね。

 

 

さらには、学級の実態とか先生の実態が丸わかり。これは悲惨ですね。

見なくてもいい情報まで受け取ってしまう。もしかしたら、それだけを切り取られて、

保護者からクレームになるかもしれないですね。

 

 

結局、「学びを止めない」ことも、「学びを保証すること」も本気で目指していない。

止めないのは、学校の先生主体の授業で、保証しているのは先生の進める授業。

 

 

でもこんなのは、十数年前から問題になっていたはずなんですよ。だって、上に書いたみたいに、学力低下、学力差、不登校、塾通いがいたんだから。でも、露呈しなかったんですよね。

見えなかったし、問題にしなかったから。でも、今は違う。もう隠せなくなった。

 

 

さあ、今こそ変わるべき時なのか。

変わらないまま、ごまかしながら続けていくのか。

やめるのか。

 

ま、十中八九ごまかすんだろうけど。

僕はやだな。有言実行したいから。

30代が改めて聞く、欅坂46

 

欅坂46を久しぶりに一気に聞きました。

時々、聞きたくなる欅坂。30代にもまだまだ痺れます。

Youtubeを並べただけのサイトが見当たらなかったので、まとめてみます。

 

1stシングル「サイレントマジョリティー」


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2nd「世界には愛しかない」


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3rd 二人セゾン


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4th 不協和音


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5th 風に吹かれても


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6th ガラスを割れ

 


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7th アンビバレント


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8th 黒い羊


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欅坂46の楽曲を「反骨心」とまとめられるものではないと思いますが、

初めて「サイレントマジョリティー」を聞いた時、その単語が浮かびました。

そして最近、また聞いています。

決してコアなファンというわけではないですが、純粋に心動かされました。

もし欅坂なんて知らねえよ、なんて30代がいましたら

 

サイレントマジョリティー

不協和音

アンビバレント

 

この3つだけでも聴いてほしいですね。30代でも全然いけると思いますよ。

だってまだまだ、心の中では、体制とか組織とか綺麗事に「NO」と言ってやりたいと思っている人いませんか。僕はそうですよ。なんなんだよ、もう。決して僕は迎合なんかしない。

いつかやってやる、見てろよ。って思ってますから。ほんと

 

 

 

 

 

 

ただ、一言いいたい。

俺はまだ、諦めちゃあいない。

大きな仕事おわり

派遣校内研修が終わりました。

1ヶ月以上前から決まっていた研修、打ち合わせ、内容の検討、練り直し・・・

昨年度は自校で行っていたため、多少の自由があったからよかったものの、

今回は看板を背負い、お邪魔をして行う研修だからこそ、自分の好きなようにできないし、

下手なこともできない。昨年度とは違う緊張感で実施することになりました。

 

前日に全く教育とは関係のない妻に聞いてもらって、ダメ出しをされ(笑)

それから修正をして、何度も練習をして臨みました。

 

本番はあっという間。始まったら後は身を任せるだけ。

たった10分の話。

聞いている側が「普通」に聞けたらもう十分。

ここまで頑張ってきたかいがあります。

 

その後は、その学校の先生たちと一緒に、授業づくり。

僕の必要性はあんまりなかったように思えた。

やはりもう、どこの学校も先生たちは試行錯誤しながらICT活用を進めている。

特に若い先生。若い先生たちを止めなければ、職員室は動く。

そんなことを思いました。

 

僕(ら)の仕事はそんな先生たちにきっかけを与えること。

これからも続けていきたいなと思います。

 

「学びを止めない」って何ですかね

「学びを止めない」って何だかマジックワードみたいになっていませんかね。

 

それさえ言えば、何でもアリなんですかね。

 

今、一番優先しなければいけないことって、感染拡大を防ぐこと、医療崩壊を防ぐことでは

ないのでしょうか。少なくとも、政府や報道機関はそれをずっと言い続けていると思います。

伝わっているかどうか別として。

 

一番優先しなければいけないことを、こえてしまう「学びを止めない」

いや、確かにそうだ、昨年はすべての「学校が」止まってしまった。

でも「学びが止まった」わけではない。だいたい、学校が「学びをすすめている」かどうか

だってあやしい。いわゆる不登校の子は?学校の授業で学ぶことができていない子は?

なんか学校が開かれていて、登校できることと「学びが継続する」ことがごっちゃになって

いませんかね。

 

「学びを止めない」なら、学校だけでなく、社会全体で「学び」の場を提供していくことが

肝心なのではないか、と思います。もうすでにフリースクールや、地域の学びの場が現れ続けているという時代。もちろん、学校に比べたらまだまだだけど、学校以外の選択肢が増えることで「学びを止めない」こともできるはず。本来、家庭でもできることだし。

 

もっとも、学校が止まってしまうことで、一番問題だったのが「つながり」ではないだろうか、と思います。学校からの連絡は途絶え、子どもたちがどのように過ごしているか全然わからない。子どもは友達と関わる機会を持てず、家にずっといなければいけない・・・。そうしたことの弊害がじわじわと数字では現れない部分でできていることを、昨年何度か聞きました。

 

だから、学校が最初に目指すべきことは「つながり」を戻すことで、それはオンラインで可能になることが分かった。そして、端末が配布され、インターネット環境が整備されることで、

もうつながりが途絶えることは少なくなった。

 

それがいつのまにか「オンライン学習」となり、「不安を抱える子」のための手段となっていった。なんだか、不安を抱える子が少数派で、変わった人みたいに捉えられるかのように。

 

結局、学校が再開し、通常通り授業が行われるのであれば、多くの親は子どもを学校に通わせるだろう。そりゃそうだ。子どもたちの多くは学校が好きだ。友達と遊べるし、好きな勉強や活動だってある。家にじっとしているよりずっといい、と思う子だっているはず。そんな子たちにわざわざ仕事を休んでまで家にいろ、とは言わないでしょう。私だってそうだ。

 

仕事は通常通り行われているんだから、子どもには学校や保育園に行ってほしい。

甘いと言われたらそれまでなんだけど。

 

それでも学校に行かせないという親と子にオンライン学習を提供することが、

「学びを止めない」ということなんだろうか。それよりも安心できる環境を作って、

子どもたちみんなで学ぶ場を作る方が「つながり」もきれないし、大事なんじゃないかな、と思う。クラスの8割が登校して、まともな判断した2割がなんだか変わり者、じゃ苦しいよなと思う。

 

 

これから先は、学級閉鎖、学年閉鎖ありきの学校になる。

いいのか、そんなので。

四方八方ふさがりで、綱渡りな日々を送りながら、学校生活を維持することが

「学びを止めるな」の大義なのでしょうか。

 

 

トップ層の結論が、トップ層の意志。

教育に対して、どう捉えているか分かる。

いったい何を維持して、何を目指しているのかさっぱりわからない。

そのような態度にもそのうち慣れて、惰性で過ごしていくのも悲しい。

 

ああ、それでも日々は進んでいく。

 

このかけがえのない時間を大事にしているか

息子が誕生日でした。

 

妻が料理とケーキを準備してくれて、お祝いしました。

息子が欲しいものを買いにいって、もらったプレゼントを手に持って写真を撮って

「ハッピーバースデー」をうたう。

まあ、よくある家庭の光景なのではないでしょうか。

 

我が家では、いや僕が、なのかもしれませんが、息子の誕生日に

昔の映像を流すようにしています。

 

 

当たり前ですが、過去の息子の姿がそこにあります。

目の前の息子とは全然別人です。別の世界の様子のようです。

 

大人になったら、1年前も2年前も大して変わりませんが、

子どもの1年、2年は全然ちがう。

昔の映像や写真を見ていると少し悲しくもなります。

「この時の息子はもういないのか」と。

 

 

子どもたちに朝の準備をして、保育園に行って、家事をして、仕事をして、帰ってきて

寝る準備をして、自分も寝る。休日はほどほどに自分の時間も過ごしながら、息子をどこかに連れていったり、遊んだりする。

 

いつのまにか「ルーティン化」しているようにも思います。

また、「子育てと仕事の両立」とかいいながら、正直仕事が頭から離れない自分がいるように思います。スマホを触っている時間が長いように思います。

 

そんな日々を過ごしている中で、時々息子の過去の映像や写真をみるたびに、

「本当に自分はこのかけがえのない時間を大事にしているのか」

「このかけがえのない時間を後悔しないか」

 

と思います。

でもやはり、忘れてしまうんですね。

大事なことだと分かっているはずなのに。

 

だから、僕はビデオを取り続け、写真アルバムを作り続けています。

親のエゴとか、子どものためにとかではなく、自分自身のために。

 

 

こんなにかけがえのない時間を無駄にするんじゃねえ、と自分自身に言い聞かせるために。

 

 でもやっぱり忘れちゃうんですね。自分のにとって何よりも大事なことだって

わかっているのに。

 

ちょっと前に観た「えんとつ町のプペル」を見て、ルビッチの父ちゃんに

憧れました。いい父ちゃんだな、って。

本当に僕は息子に何かを残しているんだろうか。

いや、ちがう。自分が「いい父ちゃん」と自信を持っていえるかどうかが、大事。

でもまだまだ、時間がかかりそう。

 

こんなことを思わせてくれるだけでも、ありがたいよ。   


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おにマジック

「オオニシマジック」

 

なる言葉があるそうです。

意味は「おに先生が担任を持つと、子どもたちがめちゃくちゃ勉強する」とのこと。

 

この言葉を聞くと笑ってしまいます。

特に、最後に担任を持ったクラスは、子どもたちに勉強を「させた」ことはほとんどないし

宿題という「課題」を出すのをやめて、自分で学習を決めて、取り組む「自学」を行っていたので、やるかやらないかは子ども次第でした。

 

でも、子どもたちは毎日のようにめちゃくちゃ勉強していました。

補足しますが、全員ではありません。手を抜いている子もいれば、「めちゃくちゃ」やってない子もいます。そんな中でも面白いことをする子もいたし、コツコツと自分のペースを守って勉強している子もいました。ま、それはそれでいいと思っていました。

 

 

 

では、「オオニシマジック」が引き起こされるために、僕が何をしていたのか。

結論からいうと、そんな大したことはしてません。

 

 

・「何のために勉強するのか」を常々語った。

・子どもたち自身で必要な勉強の計画を立てさせ、それを毎日点検した。

・テストの点数を目標にし、それを全員で目指した。

・子どもたちが取り組んだ学習に目を通し、コメントを書いたり、紹介したりした。

・子どもたちが取り組むことに対して「すげー」「いいね」と言っていた。

 

 

これくらいです。

あとは、子どもたちの成長をじっくり待っていました。

もちろん、「それでいいの?」と個人的に言うことはありました。

 

 

要は、「オオニシマジック」というのは「学習する集団」にすることだと思います。

その中で子どもたちは学ぶことに前向きになっていく。それだけです。

 

 

だから、先生たちが子どもたちにあれこれしようとしていることに対して

「滑稽だ」と思うことはよくあります。

そんなことするから、余計に子どもは学ばなくなるのに・・・と残念な気持ちになります。

また、最近では「・・・すれば子どもは学ぶ!」みたいな謳い文句も目にしますね。

 

上にも書きましたけど、何にもしなくても学ぶ子もいれば、全然学ばない子もいますよ。

そして、魔法のように変わったりしません。

僕だって、あれこれ悩みながら、いろいろ試して、少しずつ、少しずつ変わっていくものだと思います。ただ、「子どもはめちゃくちゃ学ぶ」というイメージがあるから、焦らないというのは強みですね。

 

 

 

 

 

 

「緊急事態」の学校

news.yahoo.co.jp

 

個人的には、一番真っ当な対応だと思います。

学校の感染対策なんて、たかが知れている。

子どもはくっつく。多くの先生方はもちろんわかっていること。

 

それを承知で、できる限りの対策を行なってきたのが去年。

「緊急事態」といいながら「学びを止めるな」の合言葉で、学校を続けてこれたのは、

子どもが感染しづらかった、重症化しづらかった、から。

 

そして、その間に端末の配備を進めることができた自治体は多いだろう。

学級閉鎖や休校にならない限り、オンライン学習をする機会はないだろうから、

多くの先生が慣れているわけではないだろうけど、昨年春のように何もできないわけではない。

 

この状況下でも続けられる学校生活または、オンライン学習が行えるように

準備を行う期間として8月いっぱい休校というのは真っ当だろうな、と思います。

 

「学びを止めるな」とか「社会のセーフティーネット」とか言われるけど、

子どもの命を守ること社会全体の医療逼迫を防ぐことのほうが、優先されるべきだと思うし、

それこそ「緊急事態」といえるのではないか、と思う。

 

願わくば、勤務する自治体もこのような対応を望む。

宇都宮市GIGA特設サイトから見える組織の姿

驚きました。宇都宮市教育委員会。
仕事柄、国や自治体、企業のGIGA関連のサイトを見る機会が増えました。そのおかげで、サイトに載っているコンテンツの差が分かるようになってきました。自治体であれば、教育委員会がどんな方向性を示し、具体的にどのようなことを行っているのか見えることもわかりました。
 
GIGAスクール構想は、どこの自治体もスタートラインがだいたい同じだから、差が顕著にわかります。その中でも圧倒的なわかりやすさとコンテンツの質の高さを誇っているのが宇都宮市のGIGA特設サイト。
 
いったい誰がどのようなことを行えば、こんな内容になるのか全く分かりません。宇都宮市の人口は約50万人。学校数は約90。そんなに小さいわけでもない。
 
 
いろいろと調べてきましたが、おそらく担当している指導主事の数も5名程度とそんなに多くない。
ただ一つ分かったのが、宇都宮市は数年前からGIGAスクール構想に向けて、準備は整えてきているのではないか、ということ。GIGA特設サイトにその足跡が残っていました。
 
 
いずれにしても、日々の学校の取り組み状況をHPとリンクして更新し、
これからのGIGAスクール構想の方向性を示し、持ち帰りやルール、子どもに指導する事項など
学校任せでは難しい部分もしっかり例示している。Googleのアプリのテンプレートまで用意していて、いったい誰がどのように運用しているのか、すごすぎてまったく分かりません。
 
 
それにひきかえ、端末だけわたして、あとは学校で責任を持ってくださいよ、学校で決めてくださいよ。いったいどんな方向性に進むかまったく分からず、事例紹介も、具体的なサポートもない自治体の教育委員会。いったい何をやってんだ、と学校現場から言われても仕方ないですね。サボっているわけではなく、そういうことを動かす組織になっていないんでしょう。これは、長年のツケですね。
どうしようもない。
 
井の中の蛙大海を知らず
 
さあ、今後大海を知ることになったらどうなるんだろうね。
 
 

福岡『学び合い』を学び合う会について

しばらく福岡『学び合い』を学び合う会はお休みすることになりそうです。

(他の方が開催すれば、開催されます)

 

ただ、ここ数年は僕が先導して開催してきたので、僕自身が休むことになれば、

誰かが引き継がない限り、開催されることはないでしょう。

 

「無責任じゃないか、放り出すのか」と思う方もいるかもしれませんが

 

そもそも、福岡『学び合い』を学び合う会に、会長はいないし、

組織があるわけはありません。だから、僕が必ず開催しないといけないわけではないですし、

誰が開催してもいいのです。そして、誰も開催しなければ、開催されない。そういう会です。

 

なんだ、そんな緩い会なのか、と思うかもしれませんが、

元々、この会は私の先輩たちが立ち上げた会。その方々の熱量でここまで続けてこれました。

そして、その先輩たちの意志を受け継ぐべく、2019年の全国フォーラムの少し前から、主に私が会を先導してきました。その時は、フォーラムの実行委員長をする、という名目があったからですが、それ以降は「ま、自分がやればいいっか」と思ってやってきました。

 

ただ、コロナの影響でリアル開催が叶わなくなり、一時はオンラインで行うことも試みましたが、断念。途中数回、リアル開催も試みましたが、私自身が『学び合い』を実践できないという中でモチベーションがあがらず、断念。

 

そして、今年の春から再度オンラインで開催を試みたのですが、長続きしませんでした。

 

やはり最大の要因は、精神的支柱の先輩方がいなくなったことと、

『学び合い』を実践できていないことだと思います。

『学び合い』を実践していれば、悩みも喜びもうまれてくるので、それを共有したく

『学び合い』の会を開催することは自分にとってもメリットがありました。

 

しかし今は、使命感だけでやっていた部分が大きかったと思います。

そして、フォーラムを開催した中心メンバーもリアクションが少ないこともあって

だんだんモチベーションが落ち、このブログでも何度か書いた精神的な落ち込みと同時に

完全にやる気を落としてしまいました。

 

 

僕は、

リーダー的な役割をしたり、新しいことをやりたい!というモチベーションと

どうせ僕には誰もついてきてくれないんだ、面白くないんだ、というネガティブ思考が

強く現れるタイプの人間なんだろう、と思います。

 

だから、LINEグループなどに「なんかやろうよ!」と誘いつつ「誰も反応がないのはこわい」と思っています。

 

正直、傷つくのがこわい。

だから、学び合う会どころか、何かする気もあまりおきません。

 

 

というわけで、私が福岡『学び合い』を学び合う会を開催することは、しばらくありません。

古株の先輩方、長年支えてきてくださった仲間たちにはもうしわけないですが、僕は今こんな状態なので、ご理解ください。

 

またいつか開催できることを願っています。

 

 

 

 

一から出直し

結局、誠実に仕事をしている人が、前進してくんだろうなと思いました。

 

僕は結局、傲慢で自信過剰だから、定期的に出鼻をくじかれる。

 

何度も同じ失敗をして、何度も気持ちを切り替えているはずなのに、また同じことをしている。

 

結局、根底には「認められたい」という思いがどこかにあるんだろうな。

 

だから、今回は「がんばらない」という生き方を選んでみて、少し気が楽になった。

 

淡々と毎日を過ごす。今の環境に感謝し、頼りにしてくれる人に感謝し、僕にはない部分のある人に敬意をもつ。

 

家に帰ったら仕事のことから離れて、我が子たちと向き合う。寝る前はぼちぼち好きなことをして、寝る。

 

何かに熱意を燃やす生き方は、自分が自分であることを納得するためにやっていたことだろうと思うけど、

 

そこには「誰かに認められたい」という気持ちがあるから、諸刃の剣になっている。

 

まあいいじゃん、今の自分でも大事にしてくれる人がいるだけで、そう思うと気が楽だ。

 

一から出直し。挨拶して、人の話に耳を傾け、敬意を示し、教えを請う。

 

その繰り返しがいつか、いつか前進につながるよ、たぶんね。

 

おつかれさま。