おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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楽しくて仲が良い

今日は保護者の方に通信表を渡す日でした。

今日会った保護者の方から「楽しいクラスでした」「仲の良いクラスでした。という感想をたくさん頂きました。

 

お世辞なのかもしれませんし、本当にそう思っているのかもしれないけれど、そう言ってくださるのは嬉しいのですが・・・

 

楽しいこと

仲良くなること

したっけ?

 

今覚えている限りした「楽しいこと」と言えば

 

社会科見学のバスの中でバストークをしたこと

クリスマス会をしたこと

会社活動をしたこと

 

くらいしかないように思います。

あとは、日々淡々と過ごしただけです。

また、仲良くなるようなこと・・・と言えば

 

サークルトーク

会社活動?

自学交流会?

 

うーん、「仲良く」なるための手立は何もしていないなあ・・・

 

子どもたちは勝手に楽しくて仲良くなっていった、と言う感じです。

要は、子どもたちに多くを任せ、お互いのことを折り合いつけて、日々共に学んでいたら「楽しく」「仲良く」なるんだろうな、と思います。

 

もちろん、それは副産物で、私が一番力を入れたことは

「語り」であり、「授業」です。

子どもたちは「『学び合い』がよかった」とざっくり言いますが、

いったい何がよかったのか・・・

よほどつまらない勉強してきたんでしょうか・・・

 

だって、一年生とか二年生で『学び合い』しても「『学び合い』よかった」なんて言われませんから。

 

とにもかくにも、満足いただけたらよかったです。

あと、「おに先生ロス」とかはいらないっすからね。

天狗になってしまうから、自分。

ドライ

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今日は卒業式でした。

淡々と自分の仕事をこなして、淡々と終えました。

もちろん、卒業生の子たちには、「おめでとう」と声をかけたし

保護者の方にも「おめでとうございます」と声をかけました。

それも仕事というか、礼儀だと思っています。

 

でも、心の内はそんなに高まりはありません。

今年の卒業生は担任をしたわけでもなく、関わりが深い子が多くいるわけでもありません。「思い入れ」が少ない学年です。

そういう年は私はドライです。感情の高まりはありません。

 

式の間、周りを見ていると涙を流している方を見かけました。

よくよく考えると、あまり今年の子たちに関わりの少ない子たちです。

なんで涙が出るんだろう・・・あくまでも予想なんですが、卒業式とか子どもの成長とかそういうことを考えるだけで涙が出てくるんだろうな、と思います。共感能力が高い、とも言えるのでしょうか。すごいなと思います。

 

そういえば、卒業式で涙を抑えられなかったのは、最初に持った6年生でした。何で涙が出たか、イマイチ説明できなかったのですが、心の高まりがありました。多分歌の影響です。歌って、すごい。

 

それ以来、卒業式で涙を流すことはありません。

ドライだなあと思いますが、出ないものは出ない。

さて、次涙を流す時はくるのでしょうか。ドライ君。

 

 

強み

 


自分の知らない「強み」を見つける方法。

 

 

以前の自分は「強み」というのは「特別なもの」だと思っていました。

自分の「強み」を見つけるために、努力をしたり、勉強をしたり、するんだろうな、と思っていました。しかし、この動画に

 

つまらないこと

 

が強みになる、ということを聞いて「ん?」と思いました。

 

そうか、今年になってタブレットの扱い方や、プロジェクターの扱い方について

色々と説明を求められたり尋ねられたりすることが増えたけど

自分にとっては「たいしたことないこと」でした。

 

今までずっとやってきたことだし、何の苦労もいらない。

でも、今になって「強み」になってしまいました。

別にパソコンに詳しいわけでも、得意なわけでもないのに・・・

 

 

明日は卒業式があります。

6年生の先生が作成したスライドを体育館のスクリーンにうつすことになり、

その役目を私にお願いされました。

データさえあれば、誰でもできることだと思っていましたが、できる人は限られているようで

結局自分が全部準備をしました。

また、音楽をつけたいということで、CDを流すという話になっていたので

「プロジェクターから流せますよ」と言うとびっくりされました。

 

私にとっては、CDから流そうとすることがびっくりなのに、知らない方って結構多いんですね。「音楽ファイルは何ですか?」と聞くと、「???」でした。ああ、mp3もwmaも知らないんだ・・・自分は昔から、音楽ファイルを整理したり、編集をしたりしていたので、そういうことは当たり前だと思っていたのですが、そうでない方には、「???」なんですね。

 

まあ、全然大変な仕事でもないので、一手に引き受けることにしました。

それらのやり取りを見ていたある同僚が「おにさんが、いなかったら誰もできないね」

と言っていました。

 

 

この時に、Youtubeの話がふっと浮かびました。「これが強み?」「こんだけでいいの?」

どうやら、強みみたいです。教員になってからもう10年近くいつものようにやっていたことなんだけどな・・・ははは。

 

友人の死から4年たった

友人が亡くなって4年がたった。

いいやつだった。結婚式にも来てくれた。

毎年、仲間が墓参りに行ってくれている、ありがたい。

心の病が主な原因だとは思うけど、実際のところどうだったのか、よくわかっていない。

あの時、「俺らに何ができたんだ」とひたすら問い続けた。

結局、「毎年思い出そう」ということになった。

人というものは残酷で、そんな出来事でさえ、記憶が薄れていってしまう。

たぶん、自分たちよりも関係が少なかった人は、ほとんど覚えてもいないだろう。

いや、自分たちだってそんなに大したことは言えない。

震災だって、事故だって、事件だって、命を落としている人がいるのに、

自分と関係が少ないから、どこか他人事。

いずれにしても、遺族の気持ちに比べたら、自分なんて小さい。

 

あれ以来、学校における「教員の心の病」「いじめ」

にものすごく敏感になった。

なんで学校で、事故でもないのに、

潰れてしまう人が居続けるんだ。

命が奪われなきゃいけないんだ。

この4年間、自分にできることはないか、いつも考えていた。

時々、熱が入ってしまうこともあった。

そんなことやってるから・・・と、何度肩を落としたことか。

結局何も変えられなかったのか、

何か種をまいたのか、

ただの自己満足だったのか

精一杯なのか、どうなのか、

自分ではよくわからない。

 

でも、やっぱりこうやって、最低でも一年に一回は思い出す。

何かしないではいられない。

でも、やりきれない。何もできない。いや、やっぱりやる。

その繰り返し。今年もまた。

 

おう、死ぬ前に一言ってくれよ。誰でもいいからさ。

ちょっとセンパイっぽいこと

「センパイ」ってものに憧れがあるんだろうな、と思います。

慕われる、というか

ついてきてくれる、というか

そんな後輩がいるセンパイ

 

でも、過去の自分の人生を振り返ってみると、いつもそんなセンパイで

はなかったと思います。なんか、自分だけ知らんぷりされているような気がして、体を張ったりしたこともあったし、距離をとったこともあったし、「ああ、やっぱり俺ってそういうやつだよね」とふてくされてみたりしたこともありました。

 

今の職場では多分「センパイ」という感じではない、と思います。

まあ、学校の教員ですからそんなに上下関係があるわけでもないんですし、家庭があるからあんまり先輩後輩やっているわけにもいかないと思うのですが、多分心の底では「センパイ、飲みにいきましょうよ」みたいなのに憧れていたと思います。

 

そんな私の願いに、こたえてくれる後輩が、いました。

誘ったらすぐに集まってくれて、焼肉行って、カラオケ行って、笑いまくって帰りました。なんか、嬉しい時間でした。「センパイしてるなーって」

 

もっと周りが変わることより、自分が関わりをもっていくことを大事にした方が、いいのかもしれないな・・・なんかよくわからないけど・・・

 

もやもやの発散ブログおわり。

 

雑務をこなす日々・2週間

休校になって2週間が終わりました。

この2週間でしたこと

 

はじめの1週間

 

・教室の片付け

・荷物の整理

・成績のまとめ

・所見

・保護者にお便りわたし

 

次の1週間

 

・ワックスがけ

・最後のお便りづくり

・最後の振り返りジャーナル書き、まとめ

・要録

・卒業式の準備

・特別教室の片付け

・男子更衣室の片付け

 

全部テンポよくやったと思います。勤務時間内だけど。

特別教室の片付け以外は、全部3月の仕事なんだから、いかに今まで

詰め込みで仕事していたかがわかるなあ。

 

個人的にすごく達成感があるのが、

特別教室の片付けと

男子更衣室の片付け

 

周りを巻き込むほどではなかったけど、多くの方々が声をかけてくれた。

片付けを非難する人はほぼいないから、すごくいいなと思います。

こういう方法で学校をよりよくしていけばいいのか。

 

仕事が落ち着いてきた人も増えてきたので、

来週からは周りを巻き込んでいけたらいいなあ。

 

子どもたちがいない3月も半分経ちました。

夏休みと違って休む気にもならないし、子どもたちと過ごせない分、ストレス溜めているようにも思うけど

できることを頑張っていきたいな。

 

がんばれわたし、がんばれきょうも、いってきます、いってらっしゃい。

ハッピーラッキーサーニーデイ♪

 

けテぶれ✖️『学び合い』

 

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けテぶれ✖︎『学び合い』???

Twitterで結構みかけるので疑問に思っていました。

✖︎って並列って意味だよねえ。コラボっていうか、合わせるというか。

『学び合い』って「考え方」だから、何か違和感あるんだよなあ・・・

とはいっても、知らないものに対して違和感を持ち続けても仕方ないので、本を読んでみました。

f-manabiai.hatenablog.com

 

読んだけど、やってみないとわからない!ということで、導入したのは2学期から。主に、漢字練習、テストのやり直し、計算ドリルの学習に活用しました。

 

感想・・・先生にとっても、子どもにとっても分かりやすい。

計算ドリル◯ページ 漢字◯ページ・・・のように決まった量を決まった内容で取り組む宿題を変える(革命する)ことができる実践だろうな、と思います。考えた葛原先生、すごいですね。年代近いみたいなので、尊敬します。

 

でもやっぱり「けテぶれ」✖️『学び合い』はなんか違うなあ、と思います。が、しかし・・・これを説明する例がいまだにうかばないんだよなあ。

 

ひとまず、私の捉え方は、こう。

 

 

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『学び合い』は授業だけでなく、学級経営、学校生活、その後の生き方など大きい枠組みだと考えます。そして、その考え方をもとに、『学び合い』の授業を行います。わりと広いくくりです。一方「けテぶれ」は、限定的です。

 

私は、ドリル学習と宿題でしか、活用できませんでした。本を読んでいると、いろいろと広げられるみたいですが、授業で活用したのは「分析」までです。もちろん、ドリルと宿題で取り入れた効果は、子どもたちに感想を聞くと、大きいように思いましたが、やっぱり『学び合い』とは違って、✖︎でつなぐことものではない、と思いました。

 

 

朝の会✖︎『学び合い』 

掃除プロ制度✖︎『学び合い』

 

例えば、私は『学び合い』を実践しているけど、朝の会も掃除もしています。それを✖︎とすれば、まあ言えなくもないので、いくらでも挙げることはできるけど、まあ、わざわざつなぐ必要はないかな、というところ。

 

ちょっと話変わって、宿題に関してだけど、私はどちらかというと「宿題」をなくして、「家庭学習の自学」が今年一番よかったなと思います。

 

f-manabiai.hatenablog.com

 

ただ、この自学もまた、難しいとことがあって、自学の内容を任せすぎると全然質が高まらないことがありました。

例えば、漢字を3個書いて終わりとかありました。

そういう時に「けテぶれ」

これは効果ありました。

そりゃ100点取れない子が、3個だけ練習しても100点取れるわけないですからね。「けテぶれ」はそんなことにも子どもたちに気づかせてくれたのではないか、と思います。

 

自学✖︎けテぶれ  なら大いに納得ですね。

 

 さて、話を戻しますが、けテぶれ✖︎『学び合い』といいたくなるのも分かります。なぜなら自分で考えて、自分で決めて、自分で学ぶ・・・「主体的」ともいえる子たちを育てていくってのが共通しているからです。

 

でも、そう考えると、「けテぶれ」するかどうかも選べるようにならないといけないんだろうな、と思います。

 

上に3個しか書かない子って書きましたけど、3個しかしなくても漢字100点取れる子もいるんですよね。そういう子に「けテぶれ」はいらないんですよ。もっと羽を伸ばして学んでほしい。「けテぶれ」を強制させない。あくまで手段の一つ。

 

『学び合い』は学び方を指定しません。

でも、学び方の一つも教えないと子どもたちは迷うこともあるでしょう。

漢字3文字で終わってしまうでしょう。

だから「けテぶれ」

けテぶれはすごく優れた手段の一つだと思います。

これから先も子どもたちに勧めようと思います。

そういう意味では『学び合い』✖︎けテぶれとも言えるのかな。

 

 

終わり

けテぶれに敬意を込めて

 

【追記】よければこちらも。

 

f-manabiai.hatenablog.com

 

 

原点(欲求)

おそらく私の原点は

「教え子たちが勉強を分かる・できるようになって、学校が楽しい、と思ってほしい」

なんだと思います。

もっと、シンプルに言えば

教え子たちが可愛い

なんだと思います。

 

教員3年目までは、自分の授業と個別指導で子どもたち一人ひとりの勉強を分かる・できるようにしようと思っていました。一方で授業が上手になってきて「先生の授業わかりやすい」という声に喜びを感じてしまい、「自分が満足する授業」を求めるようになっていました。

 

そんな時に『学び合い』に出会いました。もちろん、「自分が満足する授業」を求める気持ちは変わらず、『学び合い』はそれにプラスになるくらいに思っていました。

 

それから1年間『学び合い』を実践して、よい感触は得ていたものの、やっぱりメインは自分。自分が満足したい授業は『学び合い』ではなく、私が行いました。その証拠に、当時の板書の写真がよく残っています。

 

次の年、ある子が「今日の社会の授業だりい」と言いました。

私はその授業の教材研究・準備を十分に行ってすごく自信のあった授業だったので、

はじめその言葉を受け入れられませんでした。

 

しかし、その子の「だりい」によって、自分が満足する授業をしているのであって、子どもたちを満足させることできない。ことに気づきました。薄々感じていた私は、それ以降、ほぼすべての授業を『学び合い』で行いました。

 

それができたのも、「教え子たちが勉強を分かる・できるようになって、学校が楽しい、と思ってほしい」私の原点だったからだと思います。自分の満足する授業を捨てることができました。

 

そしてそれは、今日の日まで変わっていません。

やはり原点なんだろうな、と思います。

 

読みたいことを、書けばいい

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読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

 

こんなに笑いながら読んだ本は久しぶりです。

最初から最後まで笑いました。

いや、笑わせようと思ってないんだと思います。読みたいことを、書いただけなんだと思います。また、ちゃんと中身もあります。

 

 

その中でも気にいった文章をいくつか。

 

あなたは、テクニックを学んで、テクニックの習得が謳う効果・効能・利益・収入を手にしたことがあるだろうか。わたしは、わずか100冊程度だがダイエット本を読んで確信した。テクニックは役に立たない。全く痩せる気配がない。

 

おっしゃる通り。ハウツー本ばかり読んでいい気になっている誰かを想像します。反省です。

 

 文章力向上72のステップなどという本をみると気が遠くなる。だいたいいつまでステップしているのか。いい加減ホップをするなり、ジャンプをするなりしてはどうか。

 

これもその通り。世の中には100近くあるテクニックを謳った本がたくさんあるし、それどこかで聞いたことある、って本がいっぱいあります。

 

また、世に出回る文章術の本には、「おまえがまず文章を習え」と言いたくなるような読みにくい本がある。ものすごく太った人が出すダイエット本のような、有無を言わせぬ迫力がある。 

 

はは、その通り。なんでこんなに読みにくい本を読んでいるんだろう、と自分につっこめない自分。読みにくいなら読まなけりゃいい。

 

 

わたしが随筆を定義すると、こうなる。

事象と心象が交わるところに生まれる文章

(中略)

人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったことと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。 

 

自分が書いている文章が「文章」なのか「文書」なのか、事象よりなのか、心象よりなのか、考えたこともなかったけれど、間違いなくこのブログは、定義するところの「随筆」だと思います。しかも心象よりの。

 

定義をしっかり持てば、自分がいま、なにを書いているかを忘れることはない。

 

おそらくこの本で紹介されている「文章術」ってこれだけなんだろう、と思います。そして、あともう一つ。

 

ともかく重要なことは、「事象に触れて論理展開し心象を述べる」という随筆に、起承転結ほど効率よく使えるコード進行はないということだ。 

 

新聞のコラムなどまさにこれ。そうか、たしかにそうだ。そして、自分はなーんにも考えずに書いていたな。自分が読みたい文章にはなっていなかっただろう。

 

起;実際の経験だという前置き

承;具体的に何があったか

転;その意味はなにか。テーゼ化

結;感想と提言。ちょっとだけ

 

うーん、分かりやすい。Twitterで練習をしていこう。

そして、この起承転結によって、この本の文章術が次のようにまとめられている。

 

事象に出会ったとき

そのことについてしっかり調べて

愛と敬意の心象を抱けたならば、

過程も含め、自分に向けて書けばいい。 

 

まかりなりにも、作文の指導をしている学校の先生である自分が、何もわかっちゃあいないことにだんだん落ち込んでいく・・・でも、気づかせてもらった「敬意」をもとに、このブログを書きました。最後に、この本の中で唯一、教育現場にむけた部分を紹介します。

 

 しかし、今の日本の教育現場では番だめな方法がまかり通っている。それは何かを鑑賞して、「はい、感じたことを書きましょう」というやつだ。そう先生に言われて「とても面白かったです」と感想を書く、これが小学生の作文である

 

誰だ、そんなことをさせているのは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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反省しています。

おわり 

2020年4月

[https://twitter.com/onisensei024/status/1236053938144604161:embed#昨日ある方々のお話を聞きました。ー2020年度4月に学校現場に混乱が起きるー

①新学習指導要領の実施

②働き方改革スタート(残業45時間まで)

③未履修,コロナウイルスの影響

私は、いつもとそんなに変わらないと思っています。その理由はブログで。]

 

と投稿した続きです。

繰り返しになりますが、私の見解を述べます。

いつもとそんなに変わらない

と思います。

まず、新学習指導要領。

読んでいる人、いますか?

これから読みますか?

 

本を読んでいる時間がない、仕事量が多すぎる、余裕がない・・・

言い訳すれば色々あるわけですけど、結局のところ必要感がないんだろうな、と思います。

まあ、それに向けた研修とかもなかったわけでもないけど、

 

何がなんだかわからない

 

まあ偉そうに言っている私でさえ、よくわかっていないですから。

でもざっくり今度の指導要領のことをまとめると

 

時代が変化するよ

時代に合わせた生き方ができる子どもたちを育てていくよ

 

だと思うんですね。でも、これって前と同じなんですよ。

もちろん、時代が変化しているし、求められる能力は変わってくるんだから、

教育も変わらなければいけない・・・な の に!

いまだに宿題をバンバン出して、ドリルダー、カンジダー、きそキホンダー

ってな感じでしょ。もう、なんていうかね、変わる気がしない・・・

『学び合い』なら、新学習指導要領の理念と一致しているんだけどね・・・ボソッ

 

だから4月から学習指導要領が変わっても、いつも通りなんだと思います。

いつも通りの忙しさ。いや本当、教師の仕事って、

どんな仕事にも負けない忙しさありますよ、4月。

 

で、教科書も変わるわけだけど、今まで、教科書同じなのに、イチから教材作っているんだから、またおなじことが繰り返されるだけ、だと思います。

つまり、いつもと変わらない。

 

で、残業45時間以内?

 

ははは、むりだろ。

どれもこれも大事って言って、削るのが苦手、足すのが得意なのが学校なんですから。

私のようにいい加減な人間だったら、削るの大得意なんですけど、でもやっぱり授業については十分に準備しないと、生徒指導とか保護者対応とかで、何倍も時間を取られるわけですから、そこには時間をかけます。いや、それが一番大事でしょ。で、それをするのも、45時間以内?むりだー。工夫とかいうレベルじゃない。

 

結局、「はやく退勤しましょうー」で終わっちゃうんだろうな。

タイムカードを先に切って残業、とかになっちゃうんだろうなあ。

ちなみに、民間はもっと厳しいから、パソコンの起動とか、職場から出たとかで、

タイムカードになるから、残業にはものすごく厳しくなるんだとか。学校でそんなことできる?むりですね。結局個人に委ねられ、管理職もそれなりに管理する、でしょう。

 

 

この3月に全行事と全研修を見直すくらいの勢いがないと実現難しいでしょうね。

でも、この3月は「出勤を控えろ」となっているから管理職も動きにくいでしょうし。

 

なら何ができるか。

 

 

個々が準備するしかない!

 

で、私が目をつけたのがこれ。

 

 

 

 

これしかない!!

 

これなら誰にも文句を言われず、やりたい人だけがやって、効果がすぐ出る。

そう、私の3月は「片付け」に特化します。

 

結論。

 

2020年4月の混乱に対応するには、片付けしかない!!! 

 

あ、未履修・・・

これは行政が決めてください。どうしようもないっす・・・