おに先生のブログ (noteに引っ越しました)

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語る。巻き込む。

教師が子どもたちに語る。

 

全員に伝わってほしいという気持ちで伝えていても、

実際には一部の子にしか伝わっていません。

でも、教師の語りを理解した子が、少しずつ周りに伝えていきます。

そうして集団が少しずつ変化していくのを待ちます。

『学び合い』を実践する際のセオリーです。

 

 

私の今の立場は、職員室内での学級担任のような立場でもあり、周りに伝える子どものような立場でもあります。つまり、同僚たちに語る機会もあり、周りを巻き込んでいく機会もあります。語る時は、一部でもいいからピンと来る方がいることを願って語るし、周りを巻き込む時は、とにかく行動力を発揮するしかありません。

 

いずれにしても、職員集団を形成していく役割があるということです。

そして、それを意識して行動することが大事だと思います。

なぜ、そう考えるかというと、自分にとって「得」だから。

 

すべて『学び合い』のセオリーですね。

 

 

さて、今日は「語る」機会がありそう。

何をどう語るか。教室で考える時と同じです。

 

覚悟がいる『学び合い』

私が『学び合い』を他人に勧めることをためらう理由の一つに

 

「覚悟がいる」

 

があります。

 

『学び合い』の授業の形だけは「テクニック的な『学び合い』」をすれば再現することは可能です。でもそこに「心」がなければ、それはどんどん廃れていきます。「『学び合い』が考え方」と言われる所以はそこだと思います。

 

「覚悟」といっても「すべてを犠牲にしてまでやる」みたいな根性論ではありません。

 

・『学び合い』を続けていくこと

・『学び合い』によって起こりうることに対して見守れること

・子どもたち全員を成長を願い続けること

・同僚や保護者に説明できること

・最後は自分で考えて、行動できること

 

教育実践を行う上で当たり前といえば当たり前なのですが、簡単にできることではありません。自身の教育観と葛藤することになります。途中で辞めたくなることもあるでしょう。

だからこそ「メンター」の存在が必要です。

 

私も過去、『学び合い』の会の先輩をはじめ、様々な方と出会い、対話を続けることで少しずつ自身の教育観をアップデートすることができたと思います。

 

このブログでも何度も書いてきましたが、改めて『学び合い』を実践していく方を増やしていく必要があると思います。ただ、形だけの『学び合い』を実践してもらうのではなく、

考え方としての『学び合い』を実践できる人を増やしていきたい。そのために、僕自身が「メンター」になれるよう、努力する必要があると思います。

 

 

教務の仕事メモ⑤

・メインは学級担任の先生。担任の先生を超えすぎることがないように。

あくまで支援者、伴走者でいること。

 

・職員室内での立ち振る舞いは「意図的」「意識的」であること

挨拶をする、話を聞く、仕事の期限を守る、学級担任以外とつながるなど、

職員室での信頼をつくれるようにする。

 

・校内の職員を巻き込むこと。つなぐこと。

 関わる人数を増やし、仕事の順番を築いていく。

 

 

f-manabiai.hatenablog.com

 

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捨てたら楽になる。でも、

問題はそこじゃない。

次の手立てはそこじゃない。

そんなことを思います。

 

なぜ、あの先生の時ならうまくいくのか。

なぜ、あの先生の時ならうまくいかないのか。

 

どうすれば、うまくいったのか。

どうすれば、うまくいかなかったのか。

 

客観的に見ればわかることも

「教師の願い」とか「プライド」とか「こだわり」みたいなものが邪魔をします。

 

そんなの捨ててしまえばいい、と思う人もいるとは思いますが、

そんなに簡単なことではない、とも思います。

 

私も自分の行った言動にこだわって、何度も痛い目を見ました。

そして痛い目を見ても、なかなか変われない自分も知っています。

 

それでも、何年も教師を続けてきて、いろいろな子ども、保護者に出会い、

いろんな本を読み、いろんな人と話をし、たくさん悩んで

「プライド」とか「こだわり」が少しずつ変わっていきました。

変わったというより、「捨てた」という方が近いのかもしれません。

 

まあ、学校に来てるだけいいじゃん。

まあ、教室にいるだけいいじゃん。

まあ、鉛筆持って過ごしただけでいいじゃん。

 

それくらいハードルが下がります。

 

もちろん、残しているもの、ブレていないもあります。

 

「何のために学校で学ぶのか」

 

は変わりません。

 

焦っても何も変わりません。少しずつ、少しずつ。対話を続けていくしかないでしょう。

さあ、今日も明るく過ごしていこう。

 

 

おに先生流 学級経営①

 

教務になってから、いろいろなクラスに入ることが増えました。

子どもが違うのはもちろんですが、クラスによって学級のルールや教室のレイアウトなどが

先生たちによって異なります。そして、自分が学級担任をしていた時と異なる点が見えてくるので面白いです。

 

「こうしたらよかったのか」と気づくこともあれば

「こうしてたからよかったのか」と思うこともあります。

 

「こうしてたからよかったのか」は私が学級担任をしている時に試行錯誤してきた部分が

あるんだろうなと思います。つまり「おに先生流 学級経営」です。

 

・教室内の子どもたちの机は、置く場所を決めて子どもたちで並べられるようにする。

・係活動は一人一役制

・朝の会と帰りの会の司会は、同じ子がする

・朝の会と帰りの会の内容はシンプルにする。

・子どもたちが扱える文房具は一箇所に集める

・学級文庫をつくる

・掃除当番や給食当番は可視化してわかりやすくする。

・お便りを入れるファイルを準備する

・片付けの時間をとる

・机の横に物は最低限。文房具のみ。

・水筒の置く場所を決めておく

 

 

ざっと挙げるとこれくらいでしょうか。

まだまだあるとは思いますが、このような細かい仕組みを作ることで

教室が常に整った状態になり、学級が安定すると考えています。

理想は子どもたち自身がそれを維持管理できるようになればよかったのですが

そこまでは私も到達できなかったです。

 

さて、この経験を広げていかないともったいない気もしますが、

「こうした方がいいよ」というのも変な話。

やはり自分自身が変えてみたいと思わないと変わらないですね。

学級経営しかり、職員室の環境しかり。

 

 

運動会そのものは変わったのか

息子の運動会を見に行きました。
はじめて「観る側」になりました。


午前中終了、学年ごと、競走遊戯なし、紅白の得点計算、応援団なし。
コロナの影響で変わった運動会の形だけど、丸一日熱中症を恐れながら行うより、これでよかったんじゃないかなぁと思います。

 

ただ、一年生運動会あるあるの直線走。
「順位は関係ない」と言いながら結局は「さらしもの」組み合わせ次第で順位なんて変わるのに、結果的に「ビリ」になった子はどんな気持ちでこれからの学校生活・人生を歩むのだろうか。
「社会に出たら競走ばかり」とはいうものの、社会に出る前に挫けてしまったら元も子もない。
「コロナだから変わった」のではなく、運動会そのものを考える必要があるとおもいます。体育科の目標は「豊かなスポーツライフ」のはず。

 

とはいえ、先生たちのこれまでの準備や指導、今日の仕事は相当なものでしょう。保護者側だと気づきにくい。せめて連絡帳に感謝の気持ちを書きたいなと思いました。

スーパー教務

4月から主幹教諭になり、教務の仕事をしています。

4月当初は初めての仕事に慣れないことや、無茶な仕事に忙殺されていましたが

今はだいぶペースをつかめてきて「やりがいがある」と思えるようになりました。

 

毎日いろんなことが起こりすぎて、教務の仕事が全然できない日もありますが、

それでも「やりがいがある」と思えることが多いです。

 

何が「やりがいがある」と思えるかというと、今までの自分の経験、学んできたこと、悩んできたことがすべて生かせるから。そして、自分が貢献していること、オンリーワンの存在であることを感じるようになったからです。

 

特に、関わり方の難しい子どもととことん向き合い、つながりを作ることができたら、教員としてのやりがいをとても感じます。教務の仕事は目立たない仕事が多く、それらをどんなに頑張っても評価してもらえないことが多いですが、子どもへの関わりは周りはよく見て、評価してもらえます。

 

もちろん、周りから評価してもらうためにやっているわけではなく、目の前に子どもがいるからそこに力を注いでいるわけですが、その順番を間違えると周りから信用されないだろうなとも思います。「仕事忙しいのに、ひたすら子どもと向き合っている」と「子どものことよりも、自分の仕事ばかりしている」では大きな違いです。

 

とはいえ、教務の仕事を手を抜くわけにはいきません。

学校全体に影響が出ます。

子どもに向き合いながら、何事もないように仕事をこなしていく必要があります。

でも、今までの経験、学んできたこと、悩んできたことを生かすことができるので、

工夫次第でなんとかなる部分がありますし、新しい仕事をするのは楽しいものです。

 

先日は昨年度の経験をいかして学習評価の提案をしましたし、今は夏休みの研修の日程を計画しています。どちらも初めての仕事ですが「創る」楽しさがあります。

 

 

いつの日か「おに先生がいるから働きやすい職場だ」「おに先生がいるからいい学校になった」と思ってもらえるように、明るく元気な「スーパー教務」を目指して日々頑張りたいです。

 

 

業務改善

ある業務についての簡略化が決まりました。間違いなく業務改善です。

このチャンスを逃したら、次いつ実現するか分からないので、嬉しい限りです。

 

学校の業務には、決まりでもないのに慣例で行っていること、サービスで行っていることはたくさんあるので、やろうと思えば削減すること、変えることができるものもあるのですが、

なかなか着手できないままになっていることがあります。

 

例えば電話応対。

朝の勤務時間前から学校に電話はかかってくるし、勤務時間後もかかってきます。

企業や官公庁をはじめ多くの業種で、電話受付時間が決まっているのに、学校は職員がいればいつでも電話OKみたいになっていました。

最近では、遅刻欠席連絡をデジタル化したり、夕方の電話がつながらないようになったりと仕組みが変わることで、電話の応対業務がかなり改善されました。

 

今回変わった業務は、長年慣例で行ってきたけれど、変えるきっかけがなかったもの。

あってもなくてもそんなに変わらないけれど「あったほうがいいよね」というものです。

「あったほうがいいよね」を変えるには、行政の働きかけか、職場内の声の高まりか、校長のトップダウンか、いろいろきっかけはあると思いますが、結局は「総合力」だと思います。

 

行政が言ってる

校長が言っている

周りの学校が言っている

先生たちも望んでいる

保護者にも説明がつく

 

こういった条件を揃えて、前に進めるでしょう。

誰だって自分が損をすることをしたくはない。

 

それでも決まりさえすれば、もうあとは進むだけ。

変わる時は抵抗感があっても、変えてしまいさえすれば忘れるものです。

 

 

 

『学び合い』の限界

『学び合い』の限界 という言葉を目にしました。

『学び合い』だと一定数の子どもたちの学力が伸びないから、一斉指導をすべきだという

主張だったように思います。

 

これについて、自分の見解を述べておきたいと思います。

 

結論からいえば、『学び合い』が目指しているものと、実践者が「◯◯したい」と思っているものが違うということだと思います。『学び合い』の限界というより、もともと『学び合い』が万能な魔法というわけではなく、目指しているものを追う中で、いわゆる学力が向上したり、子ども同士の関係性がよくなったりするものであって、それら自体を目指しているわけではないと思います。

 

だから「限界」というより、『学び合い』でカバーできないと思う部分は、教師自身が手を加えていけばいいのであって、実際私もすべてを『学び合い』でやっているわけではありません。

 

ただ、はじめから「『学び合い』には限界がある」と決めてかかるのも、早計かと思います。

教師が手を加えるよりも、子どもたちに任せた方が時間がかかっても結果的に達成できることはよくあります。「『学び合い』では学力が伸びない」というのは、もうあと半年くらい待てば伸びている「かも」しれません。

 

僕も『学び合い』ですべてをカバーするのではなく、自分で手を加えていくことが多いですが

結局、自分で手を加えなくてもよかった、手を加えない方がよかった、と思うこともあります。ただ、時間はかかるし、必ずそうなるかどうかはわかりません。

 

結局、行き着くところは「自分はどうしたいのか」であって、その「どうしたいのか」を『学び合い』でカバーするか、自分で手を加えるかの違いなんだと思います。『学び合い』でカバーできないと思うなら、それが『学び合い』の限界ですし、『学び合い』でカバーできれば、それは『学び合い』の成果です。

 

というわけで、久しぶりに『学び合い』のことを書いてみました。

こちらの記事も参考に貼っておきます。

onisensei024.hatenablog.jp

 

すべて大人の手で

学校教育現場において、すべて大人の手でなんとかしようとすること自体に無理がある。

 

でも、自分達の力でなんとかしようと考えることにはとても価値がある。

 

答えのない問題に対して、みんなで知恵を出し合い、対話を続けることで、物事を前進させて

いくことができる。

 

みんな将来を不安に感じてはいるけど、目の前の問題をどうするかで精一杯。

 

それでも、将来へのビジョンをそろえ、目の前の問題に対して試行錯誤していく必要がある。

 

僕自身は、現状を受け入れることから始めたらいいと思っている。

そんなに焦ることはないと思っている。

勉強できなくてもいいじゃん。まずは学校にきているだけでいい。

今までよりよくなった、できるようになった、成長した・・・この積み上げしかない。

子どもを信じるところに、その先に問題の解決がある。